こんにちは!
みなさんはオペラ歌手と言うといったいどんなイメージを抱いていますか?日本のテレビなんかを見ると、オペラ歌手というとやたらとセレブみたいなイメージが強調される事が多いなあと感じることが多いです。
舞台の上では王様やお姫様など豪華な衣装を着て演じる事も決して少なくないですから、そのようなイメージが強調されるのもわからなくはないです。
だけど、一見舞台上では優雅そうに見えても、そう見えるだけで歌っている方は結構必死です。なぜなら舞台の上では予期せぬハプニングが頻繁に起こるからです。そしてオペラ歌手は常にそうしたハプニングが観客に悟られないように、格闘しながら歌っているのです!
今回は私の経験の中から、舞台の上ではどのようなハプニングが起こっているのか、オペラ歌手はそのような状況にどのように対処しているのか、その舞台裏をいくつか紹介しましょう!
もくじ
舞台上はハプニングであふれている!
以前、“舞台裏ではどんな人達が働いているの?”という話をしましたが、一つのオペラの公演には実に多くの人々が関わっています。ある意味当然の事ではありますが働いている人が多ければ多いほど、予想しないハプニングが起こる可能性は高くなりますね。
そして実際の所、かなりの頻度でハプニングが起こっています。予期せぬハプニングが全くなかった公演の方が少ないぐらいです。そんなハプニングが起こるたびに私達歌手は、できるだけ観客に悟られまいと、ひそかに格闘する事になります。
では実際にはどんなハプニングが起こっているのでしょうか?主に私の経験談になりますが、いくつか見ていきましょう!
指揮者がレチタチーボの最中に半分寝てしまった・・・。
モーツァルトやロッシーニなどのオペラでは、曲と曲の間にレチタティーヴォと呼ばれるセリフの部分があります。レチタティーヴォはチェンバロやピアノの伴奏だけとなり、その間オーケストラと指揮者は出番が来るまで数分間待っている事になります。
あれはロッシーニの「セビリアの理髪師」の公演の時でした。たしか2幕の5重唱の前だったと思います。伯爵がバジリオの生徒に化けてロジーナの下にやって来たものの、結局がバルトロにばれてしまうという場面です。私たちはレチタティーヴォを演技し終えて、次の曲がロッシーニ独特の「ジャジャーン」というオーケストラの和音で始まる事を期待していましたが、その和音がいつまでたっても鳴りません・・・。オーケストラピットの指揮者を見てみると、なんと指揮者が半分寝ているではありませんか・・・
指揮者の近くにいるオーケストラのメンバーが気転をきかせて指揮者を起こしてくれれば良かったのですが、彼らは舞台上で何が起こっているのかを見ることができませんから、いったい先に進まないのが指揮者の居眠りのせいなのか、舞台上で何かが起こってしまったのか確信が持てなかったのでしょう。
結局のところ、バルトロ役を歌った年配の同僚が“Musik, Bitte(音楽お願いします!)“と指揮者に言って、ようやく先に進みました。
まあ時間にしたらせいぜい数秒の事だと思いますが、その間舞台の上の共演者たちは、どのようにしてこの状況を切り抜けるか頭をフル回転させていたことは間違いないですね。
代役がまったく違う歌詞や言語だった・・・
オペラにおいてはキャストのメンバーが風邪をひいてキャンセルすると、その夜の公演には代役がやってくる事になります。私たちは公演の前に30分ぐらい軽く打合せをして本番に臨む事になります。みんなプロですから代役がやってくる事には慣れています。だけどたまに代役でやって来る人が私達とは違う言語で歌うという事があります。こうなると共演する人にとっては中々難しい事になります。
オペラは日本では原語上演が主流となっているでしょうが、ドイツの歌劇場ではドイツ語翻訳して上演する所もまだまだたくさんあります。ドイツ語で上演する事のメリットは、お客さんが分かりやすくなる事ですが、デメリットはドイツ語訳で歌える代役を見つけにくくなるという事です。
なので自分たちはドイツ語でやっているけれど、代役には原語で歌える歌手しかみつからなかった・・・という事が時々あります。
言葉が違う相手と一緒に歌うのは結構大変です。私たちは歌っていない間も相手の歌詞を聴いて演技していますからね。でもまあ言葉が全く違えば頭を切り替えて相手の言っていることを完全に無視してしまえば良いのでなんとかなるんですが、一度だけ非常にやりづらかった公演があります。
その時はモーツァルトの「フィガロの結婚」をドイツ語で演奏したのですが、スザンナ役の歌手が病気でキャンセルしました。幸運な事にドイツ語でスザンナを歌える歌手が割とすぐに見つかったのですが、実はこのスザンナが覚えているドイツ語の歌詞と私たちが使用しているドイツ語の歌詞がまったく違ったのです。
楽譜にはペータース版とかべーレンライター版とかいろいろな種類がありますが、それぞれの版によってドイツ語訳も異なっている事が原因です。
その日は私も相手につられないように集中して頑張っていましたが、悲劇は2幕のフィナーレで起こりました。スザンナが化粧室から出てきて、伯爵と掛け合いをする場面です。ここは短いセリフでやりとりする場面なのです。私はスザンナの短いセリフに答えて一言、“その通りだ!(So,ist es!)”と歌うはずでした。しかし私が歌う直前に、普段とはまったく違った質問がスザンナの口から発せられたのです・・・。私の用意していた答えとまったく噛み合わないこのセリフに私は、“その通りだ・・”と答えることができず、その部分は空白となってしまいました。だってぜんぜん“その通り”じゃなかったんです・・・。
公演に行ってみたら舞台裏がストライキしていた・・・
ドイツでは給料を巡るストライキ交渉と言うのが日本と比べるとはるかに多いです。そしてそれは劇場でもたまに起こります。合唱団やオーケストラ団員、それから舞台裏の人達には強力な組合があります。なので組合が劇場側と給与交渉を行うのですが、なんと私が勤めていた劇場の舞台裏の人たちが、一斉にストライキをしたのです。私達ソリストは契約条件が全く違うので、このような強い権利はありません。
なので舞台裏がストライキをしても、公演があればストライキには加わらずに歌わなければならないのです。
あれはヨハン・シュトラウスの「こうもり」の公演の時でした。私はファルケ役で出演する予定でしたが、劇場に行ってみると舞台裏の人たちがストライキで誰もいません。
舞台裏が誰もいないという事は、衣装、小道具、それから舞台セットもなにもないという事です。本来であれば、公演をキャンセルすべき事態ですが、劇場側は公演を強行する決断を下しました。まあ劇場側としてみれば、ストライキに負けて公演までキャンセルしたら相手の思うつぼですからね。
結局、組合に属していない時間契約の舞台裏の人たちがどこからかテーブルや椅子など、使えそうなものを集めてきて、即興で公演する事となったのです。
衣装だけは、衣装係がストライキに入る前に用意してくれていました。
まあ私たちは時々コンサート形式のオペラに出演する事もありますから、ちょっとぐらい舞台が違っても大丈夫ですが、この時はさすがに大変でしたね。ファルケ役の私にはオルロフスキーのパーティーで写真を撮ったりする演出もあったんですが、小道具のカメラがありませんから、誰かが持っていた本物の一眼レフでフラッシュを焚きながら撮影した記憶があります。
その公演は歌手たちが協力し合って無事に演奏を終えることが出来ました。お客さんの反応はどうだったと思いますか?
ハプニングがあったのに無事に公演を終えることができると、お客さんは普段よりも大いに喜んでくれる事が多いです。この時も私たちの普段とは違う緊張感と熱気を感じ取ってくれたのか、大きな拍手喝さいを貰いました!
公演中に雨が降ってきたので傘をさして演技を続けた・・
私が2012年から所属していたザクセン国立劇場という劇場は、ザクセン州の小さな劇場を回る引っ越し公演を沢山行っている劇場でした。毎年夏には、ラーテン野外劇場をホームに演奏を行い、さらに8月下旬にはバイロイトの近くにあるヴーンズィーデルで開かれる野外劇場での音楽祭にも参加していました。
野外劇場で問題となるのが雨ですね。
ラーテン野外劇場においては、雨が降った場合は基本的に公演が中止となります。客席にも舞台にも屋根がないためです。しかしヴーンズィーデルでは客席と舞台の前方に屋根があるために、雨が降っても公演は中止になりません。雨が降った場合は、演技を辞めて舞台の前方の屋根の下でコンサート形式で公演を続行する約束となっていました。
さて、あれはモーツァルト作曲の「フィガロの結婚」でした。私は伯爵役で出演していましたが、4幕のフィナーレの直前に雨が降り出したのです。この時舞台にいたスザンナとフィガロ役は、舞台の前方の濡れない所に移動して演技を続けています。
本来であれば雨が降ってきたらコンサート形式に切り替える事となっていました。しかしもう少しでオペラが終わります。なので私達は舞台裏で演出助手たちと相談して、傘をさして演技を続行する事に決めたのです。幸いにもフィガロの結婚の4幕は室内ではなくて“お庭”が舞台となっています。
私がスザンナの居場所を探すために傘をさして登場すると、お客さんからは大喝采が起こりました。その後、登場人物が傘をさして舞台に登場するたびにこの拍手が続く事となりました。
演奏中に転ぶ、落馬する・・・
歌う側としてはどんなに小さなハプニングでも起こってほしくはありませんが、ハプニングの中でも怪我につながるようなものは本当に起こってほしくありません。私たちはそうした事故が起こらないように本番前には舞台を念入りにチェックしますが、それでも時々怪我につながるようなハプニングが起こります。
私自身も舞台で滑って転んだり、車いすがひっくり返ったりというようなハプニングを何度も経験してきましたが、最も肝を冷やしたのが、同僚が公演中に落馬した時です。
先にも書きましたが私は毎年夏にドイツ、ザクセンスイス国立公園で行われるラーテン野外劇場での公演に参加していました。その時の演目はモーツァルトの「魔笛」です。ラーテン野外劇場ではこの他にもヴェーバーの「魔弾の射手」などが上演されていましたが、ここでは自然を生かして本物の馬を使った演出をすることが慣例となっていました。
パパゲーノ役だった私は幸いにも馬に乗る事はありませんでしたが、3人の侍女やモノスタートスは馬に乗って登場するように演出されています。(ちなみにヴェーバーの「魔弾の射手」において私はオットカーを演じていましたが、毎回馬車に乗っての登場を楽しみましたよ。)
事が起こったのは1幕のフィナーレの時でした。パミーナと二人で旅をしていたパパゲーノの私はザラストロの登場におびえて、舞台前方に隠れるという演出でした。私は観客に背を向けて舞台を見渡せる位置にいたので、その場からタミーノを引き連れたモノスタートスが馬に乗って登場する場面を見ていました。本来であれば、馬に乗ったモノスタートスが小高い丘を駆け上がる予定となっていましたが、なんと馬がその手前で駆け上がるのを拒否したんです。モノスタートス役の同僚は勇敢に馬を操ろうとしましたが、馬は前進する事に抵抗し、その場で後ろ足を折ってしゃがんでしまったのです(ちょっと犬のお座りみたいなポーズ)。そしてモノスタートス役の同僚はそのまま馬から落ちる事となりました・・。
幸い怪我もなく、何事もなかったかのように彼は歌い続けましたが、あの時は本当に肝を冷やしましたね・・。
おわりに
今回は私が舞台で経験した出来事のなかから、いくつかのハプニングを紹介してみました。オペラ歌手は演技をしながら常にこのようなハプニングと格闘しています。本番では時々歌詞や出だしを間違える歌手もいますが、そういう時はたいていその前に何かしら予期せぬハプニングが起こっている事が多いですね。
私も何度こうしたハプニングに邪魔されてきたことか・・。
まあできればこのようなハプニングは起こらないに越したことはありませんが、多くの人間がかかわっている以上ある程度は仕方ないですね。
歌手はこのようなハプニングに負けないように頑張っていますから、観客としてそのような場面に遭遇する事があったらぜひとも応援していただきたいです。