【作曲家紹介②】モーツァルトが天才とされる本当の理由を教えます!モーツァルトのおすすめ5曲!

みなさん、こんにちは!

作曲家紹介の第2回目では天才モーツァルトの人物に迫ります。その中で彼が天才と呼ばれている本当の理由をお教えします!!

ではまずはモーツァルトの人物像について簡単に見ていきましょう!

モーツァルトについて


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト1756年にオーストリアのザルツブルクという街で生まれました。ザルツブルクというのは塩の砦という意味ですが、近くでとれる岩塩を川を使ってヨーロッパ中に送っていた事から、こう呼ばれています。

さてこのモーツァルトが生まれた1756年は、日本は江戸時代の中期ごろにあたります。その頃江戸では初めて尊王論者が弾圧されるという宝暦事件という事件が起こったようですが、まあ今回の話とは全く関係ありません。

ザルツブルク大司教

モーツァルトが生まれた時のザルツブルクには、カトリック教会の最大権力者の一人である大司教が力を大いに奮っていましたが、ヴォルフガングの父レオポルトも彼の下で宮廷作曲家(最終的には宮廷副学長)として働いていました。

そのような環境で生まれ育ったモーツァルトですが、その才能は早いうちに発揮されます。

4歳で作曲!ヴァイオリンを初見で演奏?

モーツァルトが天才だと言われている大きな理由の一つは、その早熟さです。最初に作曲をしたのは4歳の頃とされており、そこから周りを驚かすエピソードもたくさんあります。例えばシャハトナー(ザルツブルク宮廷トランペット奏者)のヴァイオリンがモーツァルトの物より8分の1音低く調弦されているのを正確に言い当てたとか、たとえば、ヴァイオリンのレッスンを受けた事がないのに、初見で第2ヴァイオリンのパートを弾いてみたとかいうものがあります。

それからローマのシスティナ礼拝堂で門外不出とされていた“Miserere”を一度聞いただけで記憶し記譜するというエピソードもあります。

こうした才能にいち早く気が付いた父のレオポルトはモーツァルトの才能を宣伝しお金を稼ぐために世界中を旅する事にします。

レオポルト・モーツァルト

小さい頃から旅をして過ごす

モーツァルトの子供時代はほとんどがです。当時の貴族たちの前で演奏してモーツァルトの才能を披露するのが目的です。

その行き先は、ザルツブルクからまずはドイツを経由し、パリ、ロンドンに及びます。帰り道にではベルギーやオランダにも寄っています。それから今度は逆に南フランス、スイス、ウィーンそしてイタリアへの旅行です。

モーツァルトのイタリア旅行

モーツァルトはこの間正規の教育というものは全く受けていませんが、たいていは父から学んでいたと考えられていますね。

こうした旅がモーツァルトの人間形成に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。

感受性豊かな子供

さて、モーツァルトの人柄を知る上でのいくつかのエピソードを紹介しましょう。

モーツァルトは非常に感受性が豊かな子供だった事が知られています。例えば、父レオポルトの同僚であるシャハトナーによると、彼はものすごく素直で感じやすい子供だったようです。例えばトランペットの音を聴いて本気で怖がったり友達と一緒の時は非常に愛情深い姿を見せたとされています。また一方では音楽を真剣に考えている人の前でしか演奏しないという性格も見せています。

モーツァルトの残した手紙は沢山残されていますが、その中でもボローニャで出会ったドメニコ会の神父さんが、聖者だとされているけれどどうも胡散臭いという話をしています。その神父さんはとにかくココアを飲んだ後でワインをなみなみと何杯も飲み、さらに食事もたらふく食べた後でコーヒーを5杯飲んで、メロンを二切れ食べて、さらにミルクを2杯飲んだ、とても聖者には見えないという事を書いています。

普通の大人だったら肩書だけでその人の本質をみることができないかもしれませんが、モーツァルトはしっかりと人間を観察していたわけです

下ネタも大好き

手紙の話をしましたので、ついでにモーツァルトは実は下ネタが大好きだったという話にも触れておきましょうかね。モーツァルトは相手によって言葉をきちんと選んで手紙を書いていますが、従妹のマリア・アンナ・テークラ・モーツァルト(通称ベーズレ)の手紙の中では下ネタをたくさん書いています。中でも汚物という言葉を連発していますので、その一説を紹介しましょう。

ベーズレ、ヘーズレへ (1777年11月5日)

それでは、さようなら!

おや、なんだかお尻が燃えるようだ!!これはいったい何を意味するのだろうか?

もしかして、あの汚物が出たがっているのか?そうだ、そうだ汚物だ!

僕はお前を知っているぞ!!お前が見えるし、お前の味もするぞ!!

そして・・・え、なんだって?

なんてこった、神様!!

僕の耳が僕をだますことはないよね!

そうだ、ああなんて長く悲しい音なんだろう・・・。

訳:車田和寿

ベーズレへ 1778年2月28日

・・・

では早く僕に返事が届くようにすぐに書いてくださいね。

僕旅立ってしまってからは手紙ではなくて、汚物(泥)を受け取る事になってしまいますから。

汚物!・・汚物!おお汚物!ああなんて甘い言葉なんだ!汚物!味わえ!ああ美しい!汚物を味わえ!汚物!舐めるんだ!ああ、なんていいんだ!汚物!舐めろ!嬉しいぞ!汚物を味わって、舐めて・・・味わえ!汚物!そして舐めろ!汚物

damit ich den brief erhalt, sonst wenn ich etwa schon bin weck, bekomme ich statt eincn brief einen dreck. dreck! – – dreck! – o dreck! – o süsses wort! – dreck! – schmeck! – auch schön! – dreck, schmeck! – dreck! – leck – o charmante! – dreck, leck! – das freüet mich! – dreck, schmeck und leck! – schmeck dreck, und leck dreck! —

訳:車田和寿

注:日本ではこの汚物(Dreck)という言葉をうんこうんちと訳したものが広まっているが、Dreckという言葉が意味するのは泥や汚れであり、この言葉自体にはうんこという直接的な意味はない(もちろんうんこを意図していることは明白である)。モーツァルトはうんこという言葉を直接意味するKackやScheißという言葉を使っているわけではないので、ここは汚物と訳すのが響き的には正しいと判断した。

モーツァルトはこの2つ目に紹介した手紙の中では、旅立たなくてはならない(weg)、そして一度旅立ってしまったら、馬車で泥まみれ(Dreck)だ、という韻を踏んだ文章から、汚物(Dreck)という言葉を連発しています。その合間に登場する、舐める(leck) 、味合う(schmeck)という言葉は全て韻を踏んだ言葉遊びとなっています。

自尊心が高く、雇われ音楽家からフリーランスへ

さて、いろいろな国を旅して、モーツァルトの音楽を尊敬する多くの人々と出会ったモーツァルトですが、次第に雇い主であるザルツブルク大司教の扱いに不満を漏らすようになります

ウィーンに到着したモーツァルトは大司教の側近と共に食事するように命じられたのですが、そのテーブルの位置は側近の召使よりも扱いが低く、料理人の上というものでした。

彼はこれまで貴族の前で演奏し、対等に話す機会を得ていただけにそれを侮辱と感じるようになります。

また彼は大司教主催の演奏会にでなければならず、そのため皇帝の演奏会に出ることが出来ませんでした。これは経済的にも多くのダメージを与える事となり、モーツァルトは解雇を願い出ます

最初はこの解雇の願いは取り下げられますが、結局モーツァルトは解雇という事になり、晴れてフリーの音楽家としてウィーンで生活する事になります。

モーツァルトの最初の主な収入源は個人レッスンによるものです。

ウィーンに来てからほどなくして、コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚するんですが、その頃からモーツァルトは経済的な問題を抱えるようになります。その原因は謎が多いままですが、モーツァルトには金銭を管理するという能力が欠けており、さらに妻のコンスタンツェの方にもそれを助ける力がなかったようです。このころからモーツァルトはいろいろな人に借金をしながら生活するようになります。

妻コンスタンツェ

実際にウィーンを訪れた父のレオポルトはモーツァルトの豪華な住居に驚いたとの事ですので、支出が多かったことは想像に難くないでしょう。

モーツァルトはウィーンに来てから精力的にオペラの作曲をするようになり、次第に名声を高めていきます。モーツァルトの収入源の大部分はレッスン代と楽譜の出版によるものだったので、モーツァルトは出版目的の仕事を次々と引き受けていきます

モーツァルトはフリーランスとしてしばらく活動を続けていますが、やはりウィーンの宮廷の中心で働くことを夢見ていたようですね。彼は後にウィーンの宮廷作曲家としていくらかの定給をうけるようにもなります。これは舞踏会での音楽の作曲が目的であり、決して宮廷楽長のような地位の高いものではありませんでしたが、モーツァルトは喜んでこれを引き受けています。

しかしそれでもモーツァルトの経済的な問題は解決する事はありませんでした。

モーツァルトは、ウィーンに移ってからオペラ「後宮からの誘拐」、「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」、「コシ・ファン・トゥッテ」や「魔笛」などを次々と完成させ、名声を高めていきましたが、「レクイエム」の作曲をしている最中に病気にかかって死んでしまいます。一時はサリエリの毒殺説まで出ましたが、今ではリウマチ性炎症熱が死因だとされています。

魔笛よりパパゲーノ役:ラーテン野外劇場

映画アマデウスではモーツァルトの葬儀に妻のコンスタンツェとサリエリ数人しか集まらないという、いかにも寂しい人生の終わり方を強調していますが、実際には、葬儀に人が集まらないとうのはウィーンの当時の慣習に則ったもののようですね。

モーツァルトの死後はウィーン中で追悼ミサや特別な演奏会が開かれ、モーツァルトの名声が非常に大きなものであった事実を物語っています。

モーツァルトおすすめの名曲5曲

モーツァルトの作品には素晴らしく、しかも聞きやすいものが多いので選ぶのは結構難しいです。モーツァルトの傑作といえば、やはり「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、「魔笛」をはじめとするオペラの名前が挙がって来るでしょうし、未完の作品となった「レクイエム」も外せません。ただこの辺りはちょっと長いですから、まずは短い所から5曲を選んでみました。

ホルン協奏曲第2番変ホ長調 K.417

まず、モーツァルトで私がおすすめする曲は協奏曲です。モーツァルトは実に多くの協奏曲を作りましたが、どれも素晴らしい物ばかりで、正直一つを選ぶのは難しいです。

曲数が多いのは自身が演奏も演奏したピアノやヴァイオリン協奏曲になりますが、それ以外にもオーボエ、フルート、クラリネット、バスーン、ホルンなどのために協奏曲を作っています。

自分が一番好きな楽器で聴いてみるのが良いと思いますが、特にこだわりがなければ最初に聴くのにホルン協奏曲をお勧めします。

モーツァルトはホルンが好きだったのか、他の楽器と比べるとその数は比較的多く、4つの協奏曲を残しました。

※ホルン協奏曲第2番より第1楽章

私はとにかくこの牧歌的なホルンの音色が大好きなんですが、ホルンのそうした音色とあいまって、非常にやさしい気持ちにさせてくれる曲です。私は特に協奏曲2番の2楽章が好きです。この曲はとにかく個人的な思いが強く聞いていてなんか胸が締め付けられるような懐かしい気持ちにもなります。

※ホルン協奏曲第2番より第2楽章

※ホルン協奏曲第2番より第3楽章

みなさんにも思い出のCDというのはありますか?私が音楽のCDというものを初めて自分で買ったのは小学校6年生の時になります。もう30年ぐらい前の話になりますね・・・。当時の月の小遣いは800円でしたから、CDは高価な買い物です。

当時CDは一枚3000円ぐらいはしましたからね。

しかしそんな小学生にもCDが買える場所がありました。私が住んでいた福島県の須賀川市という所にはヨークベニマルというスーパーがあったんですが、そのスーパーの一角に本棚一つ分CDコーナーがあったのです。売られているCDはクラシック100選みたいな感じの廉価版でしたが、一枚1500円ぐらいで買う事が出来ました。

小学校6年生の時の私は、小遣いをためては自転車でヨークベニマルまで行き、そのCD棚の前で1時間ぐらい、どれを買おうかと真剣に悩んだものです。

当時は今のようにインターネットのストリーミングサービスなんてありませんでしたから、新しい物を聞こうとおもったら自分でお金を払うしかなかったんですよ

そこで自分のお小遣いで2枚目に購入したのがこのCDです。演奏はたぶんカラヤン指揮、そしてホルンがゲルト・ザイフェルトだったと思います(今その録音をアマゾン・ミュージックで聴きながら書いています)。

私はこのCDが気に入りました。とにかく何度も何度も繰り返し聞きました。中学校に入ってからは社会の資料集に乗っているヨーロッパの写真を眺めながらソファーに寝そべっていろいろと空想しながら聞いていました。

私は今この曲を聞くと、とにかく当時の気持ちが蘇ってくる事もあり、なんだか懐かしいような切ないような気持ちを感じる事になりますが、そんな思い出を抜きにしても、この曲はそうした甘さとも切なさとも言えない気持ちを味合わせてくれます。

まだ将来音楽家になるとも思ってもいなかった私が小学生だった時に何度も聴いた曲ですから、お勧めします。

ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466

名曲揃いの協奏曲の中から選んだ二つ目はピアノ協奏曲第20番です。モーツァルトはピアノソナタを始めピアノ曲を沢山作曲しましたが、やはりピアノ曲は一曲は入れたいという事で選んでみました。

この第20番ニ短調というのは、名前の通り短調で書かれた曲となっています。。あまり多くはありませんが、モーツァルトの短調で書かれた曲というのは実は結構名曲が多いです。交響曲40番ト短調交響曲25番ト短調、5曲に絞らなければどちらも候補に挙がる名曲です。

さて、そんな中で選んだ20番ですが、これが本当に美しい。曲の中で短調と長調がいったり来たりしますが、本当に短調の憂いと長調の優しさが絶妙に行き来するんです

そして緩徐楽章である2楽章は、ことさらに美しく、まるで天上から音楽が降り注ぐかのように聞こえます。そしてこの曲には救いがあります

この第2楽章はモーツァルトの映画として有名な「アマデウス」のエンディングとして使われている曲でもあります。

この映画はサリエリが、神父や他の人々に向かって、“あなた達を罪から解放する、アーメン”と言うセリフで終わるのですが、その時のBGMがこの曲です。

この映画はモーツァルトを死に追いやった苦しみから自殺を図ったサリエリの告白によって話が進んでいくのですが、この音楽が最後にある事で、救われたような感じの印象で終わる事になります。

この音楽とアマデウスという映画は直接的な関係はまったくありませんが、この曲には本当に救いのメッセージがあるように感じます。

これも素晴らしい名曲ですからぜひお聞きください。

クラリネット5重奏曲 K.581

次におすすめするのはクラリネット5重奏曲です。私はオペラを別にすれば、モーツァルトで最も良く聞くのは室内楽になります。弦楽四重奏をはじめ、様々な木管楽器の編成による室内楽が沢山あります。

その中でもクラリネット5重奏曲を選んでみました。この非常に優しい響きに包まれた曲には、優しさと同時に切なさ、そして悲しさのような感情が潜んでいます。これについては後でどうしてモーツァルトが天才なのか、と言う事でお話しますが、ほんとうに心に染み入るような美しい曲です。

モーツァルト時代のバセットクラリネット

この曲を選んだもう理由の一つはクラリネットという楽器にもあります。実はクラリネットという楽器はモーツァルトの時代になって新たにできた楽器です。バッハが生きていた1700年頃にはすでにその原型が誕生したとされていますが、バッハの作品にはまだクラリネットが登場しません。モーツァルトはこの楽器が気に入ったようで、いろいろな所で出てきます。

そう意味でもモーツァルトを代表する楽器です。

アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618

さて次は合唱が好きな人のために短いですが素晴らしい合唱曲を一つ紹介します。その名もアヴェ・ヴェルム・コルプスです。

モーツァルトはウィーンに行くまではザルツブルクの大司教に使える形となっていましたから、カトリック教会用のミサ曲も沢山作曲しています。

アヴェ・ヴェルム・コルプスは単独で演奏される、短い曲ですが、これぞまさに神の声を聴いているような気分になる音楽です。

この曲はイエスを賛歌する歌です。優しきイエスよ、慈悲深きイエスよ、マリアの子イエスよ、アーメンと歌われます。

短いですが、モーツァルト晩年の傑作と言う事が出来るでしょう。

すみれ K.476

さて、最後はモーツァルトの傑作揃いのオペラへの橋渡しとしてモーツァルトの歌曲を一つ紹介します。

この曲はゲーテの書いた「すみれ」という詩をもとに書かれた歌曲になります。

この「すみれ」では羊飼いの娘をみて“ああ、僕を摘み取ってその胸に押し付けてほしいと夢見ますが、「すみれ」はあっけなく踏みつけられてしまいます。それでもスミレは娘に踏みつけられて幸福だったという話ですが、「すみれ」の心が描写されています。

モーツァルトはこの詩の内容にあった、非常にドラマチックな音楽を付けています。これは後のシューベルトの「魔王」の誕生を予感させるような密度の濃い劇的な曲となっています。

※おまけ:グラン・パルティータ K.361 (13管楽器のためのセレナード)

“譜面上では、まったくたいした事なかった。出だしはシンプルで、それは笑ってしまうほどだ。単なるリズムだけ。バスーンとバセットホルンの出だしだ。まるでさび付いた鞴みたいにね・・。”

すると突然その上に、そうオーボエが鳴り響いたんだ。まったく動かないたった一つの音がね。”

“そしてクラリネットがそれを引く次ぐと、フレーズは何とも言えない甘い喜びとなったのだ。”

“これは決して猿に書ける音楽ではないよ。私はこんな音楽はまだ聴いた事がなかった。それはまるで神の声を聴いているかのようだったよ。”

この音楽とセリフを聴いてすでにお分かりの方もいるかもしれませんね。そうですこれは映画「アマデウス」の一場面で、サリエリがモーツァルトの音楽に初めて出会い、その才能を目の当たりにする場面です。

この映画のこの場面で使われていたこの曲は“グラン・パルティータ”と呼ばれる曲で、約1時間と少し長目ですが、非常に美しい室内楽となっています。

サリエリが神の声を聴いているというように、この曲には我々の世界を超越した美しさがあります。まあ映画の中のセリフではありますが、神の声というのはなかなか良い表現だと思いますね。

この曲はコントラバスを含めて13本の管楽器(オーボエ2、クラリネット2、バセットホルン2、ホルン4、ファゴット2、コントラバス)で演奏されるようにできいますが、木管楽器とホルンの奏でる優しい響きは本当に心にしみわたります。

吹奏楽が好きな人には積極的に聞いて欲しいですし、アンサンブルコンクールなどでもぜひとも取り上げてみて欲しい曲です。

モーツァルトが天才だった本当の理由!

では今日の本題である、モーツァルトがどうして天才だったのか、その理由をお教えします。

と言ってもこれは私が勝手にそう思っているという話であって、どこかの書物に書いてあるわけではありませんのであしからず。

私はこれまでの人生の中で実に多くの作曲家に接してきたわけですが、その中でも本当に天才と呼べる作曲家が二人います。モーツァルトシューベルトです。そこにもしかしたらエーリヒ・コルンゴールトという作曲家を加えても良いかもしれませんが、まだコルンゴ―ルトについては知らない曲も多いので保留中です。

さて、どうして数多くの作曲家がいる中で、モーツァルトは天才なんでしょうか?4歳で作曲できたり、一回聞いて曲が覚えられたからでしょうか?

そんな理由からではありません。

実はモーツァルトには人の心を理解する力があったのです。モーツァルトが感受性の強い子供だった、という話には触れましたね。

ポイントはそこです。モーツァルトは非常に感受性にすぐれ、また人の観察力にも優れていました。モーツァルトの音楽を聴いていればわかりますが、彼には人々の深い所にある心を敏感に感じる事が出来たのです。

人の心というのは複雑です。見た目は元気そうけれど、実はすごく辛い過去を持っている、とか喜んでいるけれど、どこか悲しそうとか、モーツァルトにはそうした人々の心の深い感情が分かったのです。彼は決して自分と同類の人の感情だけが分かったわけではありません。実にいろいろな人の感情が分かったのです。

そしてモーツァルトはそうした人々の深いところにある感情を、実にシンプルな音で表現する事ができたのです。

私達は自らの経験を通して人の心の動きが分かってくるように成長していきます。しかし感受性や想像力が優れた人というのは、自ら経験する事がなくても、このような事が分るのです。私はモーツァルトがその一人だったと思います。

モーツァルトの音楽は非常にシンプルですが、すごく複雑で本質的な人間の心を表現しています。モーツァルトの音楽には、しばしば笑いと涙が同居しています優しさと悲しさが同居しています悔やみと慰みが同居しています。

だからモーツァルトは誰の心にでも響いてくるのです。モーツァルトは私達の心に共感してくれるのです。

この点において、モーツァルトに及ぶ作曲家はいません。

おわりに

さて、今日はモーツァルトについての話でした。まずはおすすめの5曲の中から好きな曲をじっくりと聞いてみてください。

最初は本を読みながらでも良いですが、そのうちの何回かはじっくり聴いてみてくださいね。

モーツァルトの音楽に対して自分も心を開けば、そこにモーツァルトがすっと入り込んできます。モーツァルトはきっとあなたの心に共感してくれるはずです。モーツァルトには分ったのですから。

それこそが音楽、そしてモーツァルトの素晴らしさです。

またこの記事はYoutubeでも解説していますので、興味のある方はぜひご覧ください!チャンネル登録もよろしくお願いします!

参考文献
  • ニューグローブ世界音楽大辞典
  • モーツァルトの手紙:岩波文庫
  • Mozarts Bäsle Briefe :Bärenreiter


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