みなさん、こんにちは!
ベートーベンといえば希望です!!ベートーベンの音楽になんといっても希望があります!
今日は作曲家紹介第3回目、という事でベートーベンの魅力に迫りたいと思います。
この記事は、YouTubeチャンネル【クラシック名曲広場】でとりあげたものとだいたい同じ内容のものを取り上げています。
あわせて動画の方もご覧ください!
それではさっそくベートーベンの人物像から見ていきましょう!
もくじ
ベートーベンの人物について
それではまず最初にベートーベンとはいったいどんな人物だったのかを見ていきましょう!
①ベートーベンはモーツァルト並みの神童だった!
ベートーベン、本名はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン(Ludwig van Beethoven)と言いますが、ベートーベンは1770年にドイツ西部のボンという街で生まれました。
ちなみにドイツでは彼の名前をルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンと発音します。作曲家の名前には日本語で表記する際に本来の発音からかけ離れてしまう例がいくつもありますが、ベートーベンもその一人ですね。
ライン川のほとりにあるボンという街は、バロック風の建物もたくさんあり中々美しい街です。西ドイツ時代は首都として重要な役割を果たしていましたが、首都がベルリンになってからは存在感はかなり失われました。今ではもっぱらベートーベンの生誕地として知られていますね。
さて、ベートーベンはボンの音楽家のもとに生まれます。おじいさんはボンの宮廷歌手から宮廷楽長まで出世した音楽家で、ベートーベンのお父さんも宮廷の歌手として働いていました。そうした家庭に生まれたベートーベンは早くから音楽家になるためにお父さんから音楽教育を受けます。とにかくこのお父さんが、厳しい人だったみたいで、ベートーベンはピアノの前に座るときは常に涙目だったともいわれていますね。
しかしそのおかげかどうかは分かりませんが、ベートーベンの才能は早い段階で発揮されます。
11歳の時には本格的にネーフェという宮廷のオルガニストの下で音楽を学んでいますが、なんとそこではネーフェ不在時に、その代役を任されるようになります。11歳で代役を務めるというのですから、これはなかなかな神童ぶりです。
神童と言えばモーツァルトが知られていますが、実はベートーベンもそれに匹敵するほどの神童だったという所は知っておきたいポイントです。
②ベート―ベンはものすごく社交的な性格
このように神童ぶりを発揮していったベートーベンですが、その私生活は決して楽なものではありませんでした。ベートーベンのお父さんは、なんとアルコールに問題を抱えるようになってしまい、ついにはベートーベンが家長となって、カールとヨハンという弟二人の面倒を見る事になってしまったのです。
しかし、彼はそんなものをものともせずに積極的に音楽家としての世界を広げていきます。なにより若いころのべートーベンは非常に社交的であったことが知られています。ボンにいるときは階級の高い友人達とサークルのようなものを作り交流を深めます。それから彼は後に住まいをボンからウィーンに移すことになるんですが、ウィーンに移ってからも貴族たちと積極的に交流していくことになります。
さらにベートーベンは女性との交流も積極的だったようで、ボン時代の親友ヴェーゲラーは「ベートーベンには常に愛人がいた。」、
それから「おおかたのアドニス(色男)にとっては不可能といわないまでも難しいと思われるほど数々の女性を口説き落とした。」と語っています。
これからのベートーベンを知る上でも、若い頃のベートーベンが非常に社交的で女性との付き合いも積極的だったことはぜひ頭に入れておいてください。
③聴力を徐々に失い社会から距離を取る
というのもベートーベンが30歳になる前ごろから、彼の聴力が徐々に衰えていってしまうのです。ベートーベンはこの頃から、聴力の衰えが気づかれることを恐れて、社交の場から距離を置くようになります。
音楽家として聴力を失うことはもちろんのことですが、社交の場から距離をとらなければならない事はベートーベンにとってはもの凄くつらいことだったのです。
人々との距離をとるようになってから2年がたった頃、ベートーベンはボンの親友ヴェーゲラーに当てて手紙を書いています。
ちょっとその手紙を引用してみましょう。
「私が惨めな日々を送っていることを告白しなければならない。ここ2年間というもの社交行事を避けてきた。なぜなら、私は耳が聞こえない、という事を誰にも言えないからだ。もし私が違う職業の人間だったら、その告白はそんなに難しい事ではないだろう。けれども私の職業ではそれは非常に不利なことなのだ。決して少なくはない私と敵対関係にある人がこれを聴いたらいったいなんというだろう。」
④自殺を考える芸術家としての使命を果たす決断を下す。
ベートーベンは自分の聴力の衰えに関して、はじめは一時的なものであり、いつか元に戻るだろうという希望を持っていました。でも医者の下で治療を行いますが、結局その成果が表れることはなく、ベートーベンの希望も徐々に失われていくことになります。
そうした頃彼は、少しでも耳への負担を減らすようにとの医者の助言の下、しばらくウィーン郊外のハイリゲンシュタットで過ごす事にします。
ベートーベンはここで、自分の聴力は永遠に戻らないだろうという事を確信する事になります。
そこで書かれたのがハイリゲンシュタットの遺書です。この遺書は弟のカール宛に書かれたもので、その中で、ベートーベンは自分が自殺を考えたことを含めその当時の苦悩を語っています。これは本当に心打たれる手紙となっています。
このハイリゲンシュタットの遺書ですが、私が最近訳したものがありますので、それを次の回で全文紹介します。興味のある人はぜひそちらも(ブログ記事、YouTube動画両方あります)もご覧ください。
さて、それほど苦しんだベートーベンですが、大事なのは彼が苦しみながらも生きる選択をしたという事です。彼は手紙の中で、自分が生きるのは芸術家としての使命を果たすためだと語っています。自分が納得するような作品をしっかりと世に残すまでは、まだ死ぬことはできないというわけです。
ここにベートーベンの強さと使命感が現れています。そしてそれは間違いなく音楽にも表れています。音楽については後で話しますが、このことはぜひ押さえておいてください。
⑤気難しく、短気、さらに猜疑心が強い性格もカリスマ的人気物
若い頃は人と積極的に接してきたベートーベンですが、実はその性格はそのころから気難しくて短気だった事が知られています。
この原因なんですが、どうもベートーベンには自分でも自分がどう思っているのかというのが分からない事が多かったみたいで、それが誤解につながったみたいですね。そうした誤解から癇癪を起して殴り合いになる事もあったようですが、その都度ベートーベンは相手と和解し、自分の行いを後悔していたとされています。
若いころは女性との付き合いもさかんだったベートーベンですが、後程完全に聴力を失ってしまう事になります。そしてそのころには結婚生活に対する憧れはあったものの、半ばそれをあきらめています。その代わりになったのが、甥のカールの養育権です。ベートーベンは弟カールが亡くなった後でその息子である甥のカールの養育権を巡り、母親に対してかなり激しく争う事になります。
この執着ぶりはかなりのもので、ベートーベンは疑い深く、甥のカールの交友関係にまで細かく口出しし、さらには嫉妬までします。
後程、カールはこうした苦しみから逃れるためか、ピストル自殺を図りますが、それに失敗しなんとか一命をとりとめました。これはベートーベンにもかなりのショックを与えます。
まあこのような気難しい性格だったベートーベンですが、彼はそれにも関わらず、亡くなるまでカリスマ的な人気を誇ります。
というのもこの当時の人々は、こういう性格にも関わらず、ベートーベンと交流を持つことは価値がある事だと思っていたからなんです。ベートーベンとの交流が一つのステータスになっていたんですね。
中でも有名なルドルフ大公は、最後までベートーベンに対して賛助を惜しまず、経済的な支援を続けました。それ以外にもベートーベンの身の回りには常に助けの手を差し伸べる人が多くいたんです。
ベートーベンは1826年ごろから肝硬変になりベッドでの生活を強いられますが、その間も見舞いの客が途切れた事はありませんでした。
ベート―ベンは結局その病気が原因で1827年に56歳で亡くなりますが、その埋葬式には1万人もが参加しています。
このことからもベートーベンの当時の人気、名声がいかに高かったかが見えてきますね。
ベートーベンおすすめの名曲
まあざっくりですが、ベートーベンの人物が少し見えてきたと思いますので、これからおすすめの名曲を見ていきましょう!
ベートーベンの大傑作と言えば、交響曲第9番とか、作曲に3年間を費やしたミサ・ソレムニス、そしてオペラ「フィデリオ」などがありますが、このコーナーでは比較的短くて聞きやすいところから紹介しています。傑作は作曲家紹介が一通り終わったあたりで取り上げますから、まずはそれまでこのおすすめをぜひ聞いてみてほしいですね。
名曲①交響曲第6番 「田園」
ではさっそく一つ目の名曲ですが、交響曲第6番「田園」を選んでみました。
ベートーベンの交響曲は全部で9つしかありませんが、名曲揃いです。そんな中で私が6番を選んだ理由は、それが素晴らしいからでもあり、個人的な理由からでもあります。
まず個人的な理由ですが、実はこの田園は私が小学校6年生の時に自分のお小遣いで初めて買ったCDだからです。
私は、当時、初めてのクラシックCDを買いに隣の学区にあるのヨークベニマルというスーパーまで自転車で行って、何を買おうか一時間悩んだ末にこの曲を選んだんです。
その当時はインターネットなんてありませんでしたから、聴こうと思ったら自分で買って聴いてみるしかなかった。知らない曲を買うたびに気に入らなかったらどうしよう、というギャンブル的な要素がありましたが、私はここで選んだ田園がすごく気に入って、何度も何度も繰り返し聞いたんですね。
そんな思いでもありますから、皆さんにも自信をもっておすすめしますが、音楽的な素晴らしさにも触れましょう。
ベートーベンはこの曲でのどかな田園風景を描いたとされています。
しかし彼は音楽でもってそうした風景を描こうとしたのではありません。自分の心の中にある感情を表現しようとしたのです。美しく、のどかな田園風景を見て満たされる、安らかな心が描かれていますがこれが素晴らしいのです。途中には鳥の声を模倣する旋律も登場します。しかしこの時のベートーベンはもう聴力を失っていました。聴力を失ったベートーベンは音楽で鳥の声を再現したのではありません。自分の記憶の中にある鳥の声を聴いた時の感動を再現しているんです。そして最終楽章の冒頭に彼は、嵐の後で神に感謝するような心温まる気持ちで、という言葉を添えています。
素晴らしい曲ですからぜひ聞いてください。
名曲② ピアノ協奏曲第5番 「皇帝」
次におすすめするのがピアノ協奏曲の第5番「皇帝」です。
このピアノ協奏曲は「皇帝」という名前がついていますが、実はこの名前はベートーベンの死後勝手につけられたものであって、この曲とはまったく関係がありません。実際の所、この曲はベートーベンの良き理解者であり友人でもあったルドルフ大公に捧げられていますが、ルドルフ大公はナポレオン率いるフランス軍にウィーンが占拠された時に、疎開する事態に追い込まれていますから、これに「皇帝」と名付けるのは見当違いも良い所でしょう。ちなみにベートーベンはルドルフ大公と離れ離れになった時の気持ちを「告別」というピアノソナタで表現しています。
それはさておき、このピアノ音楽は素晴らしいです。中でも第2楽章が私のお気に入りとなっています。ベートーベンの音楽には緩徐楽章に素晴らしいものが多いんですが、これもその一つです。ベートーベンの緩徐楽章の音楽には、安らぎと癒しがあります。これはベートーベンの苦悩とも大きく関わってると思いますね。そしてその緩徐楽章の後にやってくるのは希望です。この第3楽章でも希望が見られます。
素晴らしい曲です。
名曲③ピアノ・トリオ第7番 「大公」
そしておすすめの最後3曲目にはピアノ・トリオの「大公」を選んでみました。
これも素晴らしい曲ですね。この曲もルドルフ大公に献呈されており、それにちなんで大公トリオと呼ばれています。
まったく話は変わりますが、村上春樹さんの本を読まれるの方はいらっしゃいますか?私も高校生の頃から村上春樹さんの小説は出る度に欠かさず読んできましたが、実は「海辺のカフカ」という小説にこの大公トリオが出てくるんです。
その本では主人公の一人である、トラックの運転手である星野ちゃんという青年が、中田さんという老人を手助けするような流れになってしまうんですが、話の中で、中田さんが死んだ後で星野ちゃんが大公トリオを聴いて涙を流す場面があるのです。
この星野ちゃんという人は、トラックの運転手で、これまでは、「ベートーベンなんて高尚なものは俺っちには無理無理」なんて考えていそうな青年なんですが、中田さんの死をきっかけに、ベートーベンに対して自分が作っていた壁がなくなって、その心にベートーベンの音楽がすっと入ってくるのです。私はこの場面が村上さんの小説の中では一番好きなんですが、この場面は本当に音楽の素晴らしさを良く表していますよ。そして大公トリオにはそうした優しさがあります。
星野青年はベートーベンのことなんか特に知らなかった。でもベートーベンの心が分かった。何を言いたかったかというと、この曲に限らず、音楽にはこれまでベートーベンなんて絶対に聴くことがなかったと思っていたような青年の心にも入り込んでしまう力があるんです。もちろんこの曲もその一つです。
このピアノトリオはベートーベンが自分でピアノを演奏したんですが、これが人前で演奏した最後にもなっています。そしてこの曲も緩徐楽章の第3楽章がたまらなく美しいです。星野青年が涙を流したのは本には書いてありませんが、きっとこの3楽章でしょう。
ベートーベンの音楽の素晴らしさ
では今日の最後にベートーベンの音楽の素晴らしさについて話ましょう。ベートーベンは耳が聞こえないという障害を乗り越えて、生きる決断をしましたが、それは音楽という芸術のためです。彼は自分がその才能を生かして十分な音楽を世に残さずに死ぬことはできないと考えたわけです。このことはハイリゲンシュタットの遺書にもしっかりと書かれています。
彼は耳が聞こえないとう音楽家にとってはものすごい苦しみを抱えながらもを生きていくだけの価値を音楽の中に見出していたんです。
なのでベートーベンの音楽には、彼が信じたものが表現されています。
私はやはりそれは希望だったと思っています。さっき紹介した「皇帝」の最終楽章もそうですが、ベートーベンの交響曲第5番や7番、9番の最終楽章、他にもいろいろありますが、オペラ「フィデリオ」などで希望がはっきりみられます。
ベートーベンの音楽の中には間違いなく、そうした強い前向きなエネルギーが宿っています。このエネルギーというのは本当にすごいです。そしてその音楽は希望というエネルギーでもって、聴いている私たちにもたくさんのエネルギーを分け与えてくれます。
また、ベートーベンというのは芸術の他に正義や品性、それから道徳を表す「徳」というものの力も信じていました。だから彼の音楽にもそうした正義の力が宿っています。時にはベートーベンに、お前、もうちょっとしっかりしろよ!と後ろから活を入れられるような気がするときまであるぐらいです。
でも繰り返しになりますが、やっぱり希望です!ベートーベンは!彼の音楽を一言で表現するのはもちろん無理ですが、それを最も良く象徴する言葉が希望だと私は思っています。
これがベートーベンの素晴らしさです。偉大なところです。ぜひ、みなさんも体験してください。
おわりに
今回は、作曲家紹介の第3回ということでベートーベンを紹介しました。今回紹介した内容と同じものを私自身が解説したものがYoutubeにもありますので、ぜひそちらもご覧ください!
今回紹介した曲以外にもBGMで多くの曲に触れています。よろしければチャンネル登録もよろしくお願いします!
それではまた次回お会いしましょう!