みなさん、こんにちは。車田和寿です。
今日は絶対音感に関する話をしてみたいと思います。
絶対音感と言うと、昨今では優れた音楽家の代名詞のような感じで使われている事が多いのですが、実はこの絶対音感というのは音楽家の現場にとってはほとんど役に立たない場面というのが結構あります。
もちろんそれがすべての音楽家に当てはまるわけではありませんが、今日は絶対音感とは何なのかを簡単に紹介した上で、じゃあどうして絶対音感が音楽家の現場でほとんど役に立たない事があるのかという事について話してみたいと思います。
もくじ
絶対音感とは何か?
鳴っている音を言い当てる
では絶対音感とは何の事でしょうか?絶対音感には大きく分けて二つの意味があります。最初の一つは鳴っている音を聴いて、その音が何の音なのかを言い当てることができる能力です。
具体的には、楽器の音を聴いてその音を当てる事ができるというものです。例えばピアノでどれか一つの音を鳴らして、その音を言い当てるというものです。それがもうちょっと高度になると、このよコップを叩いて鳴った音を言い当てる事ができると、楽器以外の音からもその音の高さを感じ取って言い当てる事が出来るようになります。
こうした能力の事を絶対音感と言っていますが、実はこれは割と簡単で、訓練すれば割と誰にでも習得する事ができるようになります。
何もない所から音を再現する
ではもう一つを見ていきましょう。もう一つは最初に紹介したパターンとは逆で、何も音がない所から自分でドとかレとかの音を再現する事ができる能力になります。
つまり、自分でドだと思ったらドの音を頭の中で再現する事が出来る。そしてそれを声に出して歌う事が出来るというわけです。こちらは聴いて音を当てるよりも難易度が高くなります。
そしてこの能力を持っている音楽家は一般的に優れているとされています。
実際に優れた絶対音感を持っていると何ができるようになるかというと、楽譜の音符を見て、その音をピアノの助けを借りずに歌う事ができるようになります。音符を見ただけで、その音が頭の中に浮かんでくるというわけです。
この能力があれば電車の中でもどこででも新しい曲の譜読み、音取りができるようになり、音楽家にとっては非常に便利な能力となります。特に譜読みの量が多い指揮者にとって、楽譜を見ただけで音が頭の中で再現できるという能力は、非常に有益であると言える能力です。
実際にこのレベルまでの絶対音感を有している音楽家は、優れた音楽家になれる可能性は非常に高いと言えます。
例えば作曲家のベートーベンは難聴が進んでしまって、最終的には聴力をほとんど失ってしまいましたが、それでも彼は作曲をすることが出来ました。彼は頭の中に浮かんだ音を楽譜に書くことができ、また逆に楽譜をみただけでも頭の中でその音楽を再生する事ができました。本当の所は分かりませんが、ベートーベンは常に同じピッチで曲を頭の中で再現できたはずですから、絶対音感を持っていたと考えるのが妥当でしょう。
このように絶対音感と一言で言っても、単音のみを頭の中で再生できる人から、ベートーベンのように楽譜すべての音を再生できる人まで、その能力のレベルにははかなりの開きがあるわけですが、ベートーベンレベルの音感を身に着けた人は、やはり非常に優れた音楽家であると言えるでしょう。
しかし今日の話は、絶対音感が実は現場では無意味であるという話でしたので、演奏の現場の話をしたいと思います。
絶対音感と標準ピッチ
実は今説明した絶対音感には一つの条件があります。それはラの音が440ヘルツであると言う事です。現在ではラの音が440ヘルツであると定められていますが、これを標準ピッチと呼んでいます。
最近ではそれが少し高くなってきて442ヘルツや443ヘルツにチューニングされる事が一般的となっていますが、この程度はまあ誤差の範囲内という事で特に問題はありません。
しかしラが440ヘルツというはあくまで現在の標準ピッチに定められているというだけであって、必ずしもそうでなければならない、という事はありません。実際に、標準ピッチというものがなかったころは、地域によって音の高さが違うのが普通でした。
例えば17世紀の作曲家、モンテヴェルディが生きていたヴェネツィアではAが465ヘルツというピッチが採用されてされていたとされています。この465ヘルツというのは440ヘルツと比べるとだいたい半音も高い事になります。
さらにバッハの時代にはラが415ヘルツが用いられており、これは現在の基準と比べると逆に半音近く低い音になります。
さらにフランスのバロック音楽はこれよりもさらに低く392ヘルツぐらいだったとされており、これはほぼ全音低い事になります。
またモーツァルトの時代のラは約432ヘルツとこれまた微妙に低いピッチが用いられていました。
場所や時代によってピッチが違うのは非常にややこしい。これじゃあさすがに演奏する時に困るから、という理由で標準ピッチというものが定められたわけですが、実はこれを最近では標準ピッチを無視する流れというのが出来てきました。
その流れというのがオリジナル楽器、いわゆる古楽器による演奏です。これは作曲家が生きていた当時にできるかぎり近い形で演奏しようという意図の下、当時の楽器を再現して演奏する事を言いますが、この結果、調律とピッチも当時のものに近付けるという事になりました。
その結果演奏家たちは、バッハの時はバッハ時代のピッチで、モンテヴェルディの時はモンテヴェルディ―時代のピッチで、などと頻繁に異なるピッチで演奏しなければならなくなったというわけです。
その結果どうなったか、というと絶対音感というものが全く役に立たなくなってしまったのです。
絶対音感の人が465ヘルツのラの音を聴くとシの♭に聞こえてしまい、また392ヘルツのラの音を聴くとソの音に聞こえてしまうという事が起こる事になってしまったのです。絶対音感を持っていると、楽譜に書かれている音と鳴っている音が違っているように聞こえるためにかえって混乱してしまうというわけなのです。
トロンボーンの話
ちょっと脱線しますが、こうしたピッチの違いによる面白い例があるので紹介しましょう。
吹奏楽をやっている人はトランペットやトロンボーンなどの管楽器のほとんどがB管と言って、基準となる音がラではなくてシ♭である事を良く知っていると思いますが、どうして基準となる音がラではなくて中途半端なシ♭なのか不思議に思ったことはありませんか?
ギターでもヴァイオリンでも調弦にはミ、ラ、レ、ソの音を使いますが、シ♭なんて中途半端な音は出てきません。
これには理由があります。
先ほども触れましたがモンテヴェルディの時代のヴェネツィアのチューニングは今のラよりも約半音高い465ヘルツでした。トロンボーンというのは非常に古い楽器なのでモンテヴェルディの時代にもすでにありましたが、この楽器をゼロのポジションで吹いてみると、465ヘルツの高さのラの音が出てきました。でもそれを標準ピッチがラ=440ヘルツに慣れた現代人が聴くとシの♭に聞こえるというわけです。だからB管と言ってシの♭を基準とする管楽器が沢山つくられたというわけなのですが、実はこれはモンテヴェルディの時代にはラだったという事になります。
ラという音はドイツ語や英語ではアルファベットのAが用いられている最も基本的な音になりますので、トロンボーンもゼロのポジションでラが出るように作ったと考えるのは自然ではありますね。
ちょっとマニアックな話になりましたが、標準ピッチというのが変わるとこういった事もおこるという事で紹介しました。
音楽家にとって役に立つのは?
今日は私たちが優れた能力だと信じている絶対音感というものが、実は標準ピッチを前提にしたものであることを話してきました。
しかし作曲家が生きた時代を再現する古楽器演奏が盛んになってきたことで、演奏家の現場では標準ピッチがしょっちゅう変わってしまい、絶対音感はその点ではまるで役に立たない、という話もしました。
では最後に本当に役に立つのは何なのかを話して終わりにしましょう。
現在では本当の意味で役に立つのは絶対音感ではなくて、相対音感というものになります。相対音感は一つの音を基準として、そこから他の音を取っていくというものです。基準となる音さえあれば、他の音は自分で再現できるというわけです。
これならばラの音のピッチが演奏する曲によって変わっても、その音を基準にして全音低ければソ、とか5度低ければレとか音を再現する事が出来るというわけです。
優れた音楽家になるには優れた音感というのは必要ですが、それは何も絶対である必要はないのです。一つの音を基準として、それを基準に音を取る事ができる相対音感が備わっていれば、演奏するには十分です。むしろ異なるピッチで演奏する現代においては絶対音感よりも好都合だと言えるでしょう。
しかし、ここまで話しておいてなんなんですが、やはり僕はこのことを考える時に、ベートーベンの事を考えてしまいます。耳が聞こえなかったベートーベンには、基準となる音を利用した相対音感に頼って作曲するわけにはいかなかったでしょうから、彼の頭の中にはやはり絶対的な音の高さというのがあったはずです。
それは当時のウィーンの標準ピッチを下にした絶対音感だったと見るのがやっぱり妥当でしょうが、このことを考えると、やはり絶対音感は優れた音楽家の証だとも言えますし、そういう意味では非常に役に立つものでもあるわけです。
まあ役に立ったり役に立たなかったりというのは、何を基準にして絶対音感を考えるかによっても変わってくるという事ですが、絶対音感に興味がある人はぜひ、そんな事も考えてみてください。
おわりに
今日は絶対音感についての話をしてみましたが、これをきっかけに、ぜひ異なるピッチで演奏された古楽器演奏というのも聴いていただけたらなと思います。特にバッハのバロック音楽においてはラを約半音低い415ヘルツに調律するのが主流となっています。
現代楽器で録音された演奏と聞き比べると、同じ楽譜を用いているのにまったく音の高さも響きも違う事に気が付くと思います。
それでは今回はこの辺にしてまた別な話でお会いしましょう!