みなさん、こんにちは。
作曲家紹介第4回では、あの「魔王」でも有名な隠れた天才シューベルトの魅力に迫ります。
今回もいつものようにシューベルトとはどんな人物だったのか、それからおすすめの名曲について、そしてどうしてシューベルトが隠れた天才なのかを見ていきましょう。
ちなみにこの記事の内容はYouTubeの動画でも解説していますので、そちらもぜひご覧ください!
それでは早速シューベルトの人物を見ていきましょう。
もくじ
シューベルトってどんな人物?
人物① ウィーン生まれの大作曲家
シューベルト、本名、フランツ・シューベルトは、1797年にウィーン北西に位置する、ヒンメルプフォルトグルント地区で生まれました。音楽の都ウィーンで活躍した音楽家はほんとうに沢山いますが、実はウィーン生まれの大作曲家はシューベルトだけです。
だけど、このシューベルトの生まれは、これまで紹介したバッハや、モーツァルト、ベートーベンとはちょっと違っています。これまで紹介したバッハは音楽一族出身、モーツァルトもベートーベンもお父さんはどちらも音楽家で、早い段階から音楽教育を受けています。
でもシューベルトのお父さんは学校の校長先生でした。その分野ではそれなりに成功した人物と言う事もできますが、これまで貴族とたくさんの交流があった音楽家達とはあきらかに、環境が違います。
そうした環境で生まれたシューベルトは、ベートーベンのように厳しい音楽教育を受けるという事は全くなく、その音楽的な才能を大人たちに利用される事もなく、そういった意味では割とのびのびと育ちます。
シューベルトはお父さんにヴァイオリンを習い、お兄さんのイグナツにピアノを教わりますが、あっという間にこの二人を追い越してしまいます。
そして、9歳か10歳になった頃にシューベルトは教会のオルガニストのミヒャエル・ホルツァーの所で教わる事になりますが、ホルツァーは、「私が彼に何かを教えようとすると、彼はすでに知っていた。その結果私は実際には何も教えずに、ただ彼と話をし、しずかにじっと彼を見守っているだけだった。」と話しています
こうして並外れた才能を発揮したシューベルトは、この後で宮廷礼拝堂の合唱団に入り、寄宿制学校の入学を許可され、それをきっかけに音楽教育を受けるようになります。この入試の試験官だった作曲家のサリエリが、この後でシューベルトの先生になるのは非常に興味深いですね。
人物② 教員生活をしながら作曲活動!
さて、そんなシューベルトですが、この寄宿制学校を卒業してからは、家族の説得もあって教員養成学校に入り、その後父の学校で教える事になります。ちなみにこれはシューベルトが兵役の義務を免れるためだったとする人もいますが、シューベルトが兵役を免れたのは、シューベルトの身長が兵役の最低身長である158センチにも満たなかったからと言われています。158センチ以下だとまあ当時としてもかなり小柄だったようです。
この間もシューベルトはサリエリの下でさらに2年間程音楽を学びますが、もう彼からほとんど学ぶことはなかったようですね。この頃にはゲーテのファウストの一場面に作曲した「糸をつむぐグレートヒェン」や同じくゲーテの詩に作曲した「魔王」という傑作を誕生させ、早くも作曲家としての才能を見せ始めますが、教員をしながら作曲を続ける事に徐々にストレスを感じるようになります。
人物③ 友人達との出会いからシューベルティアーデへ
シューベルトは魔王を作曲した後で、フランツ・フォン・ショーバーという法学を勉強していた同じ年の学生と知り合います。シューベルトの歌曲をどこかで聞いて、ぜひとも会ってみたいと思ったのがきっかけです。そしてこのショーバーが、シューベルトに教職を捨てて作曲に専念するように働きかけます。まあショーバーというのはシューベルトと比べて割と裕福だったので、その経済観念に関しては大分楽天的だったみたいですが、こうした事もありシューベルトは教員生活をやめる決心をします。
さらにこの頃、シューベルトのもう一人の友人だったシュパウンがヨーゼフ・ヴィッテチェックと一緒に住むようになるります。そして、その家でシューベルトの音楽が演奏される家庭的なコンサートが定期的に開かれるようになります。
こうした集まりは、「シューベルティアーデ」という形で知られるようになりますが、これは音楽史的にも結構重要な意味があるります。
というのもこれまでの音楽と言うのはモーツァルトにしろ、ベートーベンにしろ、劇場や宮廷などで、主に貴族を対象にして楽しまれてきました。シューベルティアーデというのは、これとは違って、教育を受けた中産階級によってできた物なのです。こうした人たちも積極的に音楽に関わるようになった、こうした流れができた、というのはこの時代を非常に良く表しています。
そしてこの中心にいたのがシューベルトだというわけです。シューベルトは実はベートーベンが亡くなった次の年に亡くなりますが、この二人の活動の場というのは同じ時代にありなが、まるで違います。
ちなみに、ベートーベンを古典派として、シューベルトをロマン派の先駆者とする事がありますが、これは音楽的にみると決して正確とは言えません。というのも後に誕生するロマン派の音楽というのは、その表現に古典派の形式が必要ではなくなるというという物なのです。でもシューベルトというのは、最後まで古典派の伝統的な形式でもって作曲を続けていました。そういう意味においてはシューベルトは古典派の作曲家とも言えるでしょう。
人物③ ④高まりゆく名声
ショーバーの勧めもあり、教師をやめる決心をしたシューベルトですが、実際の所は中々辞める事ができません。その時期の事をシューベルトは自ら、「僕は挫折した音楽家以外の何物にもなれなかった」と発言しています。
しかしそういう状況にも関わらず、シューベルトは「音楽に寄せて」、それから、「死と乙女」、「ます」といった歌曲の傑作を次々に作曲してその名声は高まっていきます。
そして、こうした時期にちょうどハンガリーのエステルハージ侯の娘のための音楽教師になるための話がやってきます。シューベルトはこれ幸いにと教師をやめて音楽教師になるのですが、シューベルトは最初こそ喜んで働いたものの、次第に「ここには芸術の真実を感じ取れる、心ある人はいない」と嘆くことになります。
シューベルトがハンガリーで働いている間、なんと兄のフェルディナントが、シューベルトが作曲したレクイエムを自分の作品として発表してしまうという出来事が起こります。音楽教師をしていたフェルディナントは自分の音楽教師としての名声を得たかったのです。兄は弟に対してこのことを手紙で打ち明けますが、それに対してシューベルトは、「自分がレクイエムを作曲した事に対する最高の報酬だ」と返事しています。
これはちょっとシューベルトの人柄を示すエピソードですので紹介してみました。
こうしたシューベルトですが、作曲家としての名声を次第に高めていくことになります。しかし、その割には楽譜の出版などがうまくいきません。というのも当時のウィーンで知名度があるのはなんといっても演奏家だったためです。そういう意味ではシューベルトはいくら作曲家として認知されてきているとは言え、その名声は出版では役に立たず、経済的にも決して裕福になるにはいかなかったのです。
⑤病気の苦しみと傑作
晩年、と言ってもシューベルトの人生はたった31年で終わってしまっていますから、果たしてこの言葉が正しいのかはよく分かりませんが、晩年のシューベルトは病気に悩まされる事になります。
病気の症状は有名な交響曲第8番の未完成を作曲している1822年の終わりごろから出てきたとされていますが、一説によるとこれが梅毒だったと言われています。これはシューベルトがまだ25歳の時ですが、これから亡くなる31歳の時まで、シューベルトは何度も繰り返しこの病気の症状に悩まされる事になります。
そんな病に悩ませられたシューベルトがウィーンで入院していた時に自分で書いた詩がありますから紹介しましょう。
これは病気に苦しむシューベルトの痛々しい心情を良く表していますね。
しかしそうした病気にかかわらずシューベルトはこの時期に「美しき水車小屋の娘」を発表しています。こうしてシューベルトは病に苦しみながらも、亡くなるまで傑作を次々と発表していきます。
シューベルトの作品には、こうした病が関係しているのか、常に死の影のようななものが付きまとうようになります。とにかくシューベルトが死を近くにある事を感じていたんじゃないかな、と感じるられるものが沢山あります。。シューベルトの音楽を聴いていると、中には死の暗い影を感じるような時もあれば、逆に音楽に天国的な癒しのような世界を感じる時もあります。
シューベルトは結局こうした病から回復することなく、31歳の若さで亡くなりました。
おすすめの名曲
それではシューベルトの人物をざっくり紹介しましたので、これからおすすめの名曲を3つ紹介したいと思います。
シューベルトはとにかくどのジャンルにおいても素晴らしい作品を残していますが、やっぱり素晴らしいのは歌曲です。シューベルトは約600曲にも及ぶ歌曲を作曲しましたが、ドイツ歌曲と言うジャンルは彼が完成させたと言っても過言ではないでしょう。
これが本当に素晴らしいです。音楽家というのは言葉に表せない感情を音楽で表現しましたが、詩人は言葉にはできない感情をメタファー(比喩)、を通して、直接言葉で表現しない事で表現しました。この二つの芸術が出会ったのが歌曲なのです。だから歌曲にはものすごい魅力が詰まっています。
そんなわけでまず最初におすすめするのがやはり歌曲です。
名曲① 美しき水車小屋の娘 D795
シューベルトの歌曲には素晴らしいものが多く、一つに選ぶことはとうていできないところですが、ここはさっきすでに一度名前が出てきた「美しき水車小屋の娘」をおすすめしたいと思います。
これは連作歌曲集といって、20曲の連続した詩に作曲された歌曲集になります。ストーリーを簡単に説明すると、粉ひき(水車屋と訳されることもある)として修業に出ていた若者が、その修行先の親方の娘に恋をするも、結局恋は実らず、自殺してしまうというものです。
シューベルトはこの曲に実に美しいメロディーをつけましたが、その美しいメロディーの裏には死の影があります。この主人公はおそらく川に入って自殺してしまう事になりますが、そこで“ああ水の底には冷たい安らぎがある、だからどうか歌い続けておくれ”と小川に語り掛けます。そして最後の20曲目では小川が子守歌を歌って終わることになります。
これは本当に悲しい話ですが、シューベルトの付けた音楽には、そういった悲しさとかを超越した美しさがあります。これは聴いてもらえれば分かります。
ぜひお聞きください。
名曲②詩編23番 D706
2曲目にはあんまり有名ではありませんが、美しい合唱曲、詩編第23番を選びました。これはドイチュ作品番号706番となっていますので、未完成交響曲とわりかし近い時期、つまり病気が発病するちょっと前あたりに作曲されました。
ちなみにシューベルトにはドイチュ番号と作品番号がありますが、作品番号は出版された順番の番号になります。ドイチュ番号は出版されなかったものを含めてシューベルトの作品を年代順にまとめたものです。番号なんか覚えなくても良いのですが、例えばドイチュ番号で900番台だと、シューベルトが亡くなる直前の曲、それから100番台だと、まだ作曲家として駆け出しだったころの曲というように見分ける材料になります。
病気が発病したのが、だいたい750番ぐらいからになります。
今回紹介したこの合唱曲詩編23番は旧約聖書の詩編23番に着けられた音楽です。この23番は祈りの言葉としてすごく親しまれていて、多くの作曲家が音楽を付けています。
この合唱曲は女声4部合唱のために作曲された曲ですが、男声合唱で歌う事もあれば、女性4人、それから男性4人で歌う事もあります。私は大学時代に同級生たち8人でコンサートの終わりだったかアンコールでこの曲を歌った事があります。
先ほどシューベルトの音楽には死の影がみえる、みたいな事を言いましたが、この曲にはそうした天国的なものが見えています。これがシューベルトが病になる前に作曲したんだとすると、やっぱりシューベルトには、人には見えない世界がすでに見えていたという事になりますね。すごく興味深いです。
私はとにかくこの曲が好きで、日本でリサイタルをやった時に母校の合唱部にも登場してもらったのですが、私
私がシューベルトの歌曲を歌う前にこの合唱曲を歌ってもらいました。
これは本当に素晴らしい曲です。聴くだけでもいいですが、これはピアノ伴奏で非常に歌いやすい曲となっていますから、高校生の合唱部やアマチュアの合唱団にも歌ってもらいたい曲です。
名曲③ 即興曲 D899
さて、最後おすすめの3つ目を紹介しましょう。
3つ目に選んだのは、ピアノ即興曲になります。
これはドイチュ番号899番ですから、病気になってからですね。この即興曲D899は全部で4つの小編からなるピアノ曲です。
シューベルトの音楽の特徴の一つには、転調が挙げられます。彼はこの転調でもって聞いている人をまるで予想もしないところに連れて行ってしまいます。私はそこにいつも天国的なものを感じるますが、このピアノ即興曲にもそうした魅力がいたるところにあります。
個人的に一番好きなのが、一番のハ短調です。曲の中で短調からいきなり長調に代わるところがあるりますが、そこが本当に美しいんです。この転調によってシューベルトは聴き手を天国に連れて行ってくれるように感じます。
1番以外には3番でも非常に美しいメロディーを聴くことが出来ます。どれも10分もしない短い曲ですのでお勧めします。
今回は挙げられませんでしたが、「冬の旅」、それから交響曲第9番ハ長調、弦楽5重奏曲「ます」など名曲がたくさんありますから、またいずれ別な機会に取り上げましょう。
それでは最後にシューベルトの音楽の魅力について話しましょう。
シューベルトの魅力について:シューベルトは隠れた天才
最初にシューベルトが隠れた天才と言いましたが、私が作曲家の中でも天才だと思うのがモーツァルトとこのシューベルトの二人になります。モーツァルトは理由はいろいろとありますが、すでに天才として認知されていますが、シューベルトは天才として認知されているわけではありませんね。そんなところから隠れた天才と呼んでみました。
モーツァルトが天才である本当の理由については、すでにモーツァルトの回でも話しましたので、今回はシューベルトが天才である理由について話しましょう。
私は作曲家に限らず、何かを作り出す芸術家に一番必要なのは想像力だと思っています。どれだけ目に見えない物をリアルに想像できるか、リアルに感じることができるかが大事なのです。
シューベルトというのは実に多くの詩を読んで、そこからインスピレーションを得て歌曲を沢山作曲しましたが、私はシューベルトにはその詩に描かれたものを、リアルに感じる事が出来たのではないかと思っています。
詩というのは、メタファー(隠喩)ですよ。本当に大事な事というのは直接は書かれていないわけです。でもシューベルトはそれを自分なりの方法でリアルに見ることができました。これは詩人が意図した通りに見る事ができたというのとは少し違いますが、シューベルトには彼なりの世界を見ることが出来たのです。
そしてそれをシューベルトはもちろん音楽という言葉で表現する事ができました。
これが出来たのはシューベルトだけです。シューベルトには私たち凡人がとうてい見る事ができない世界をリアルに見ることができたのです。そして彼は音楽を通して私たちにもそうした世界を少し見せてくれます。
それを象徴するのが歌曲になりますが、言葉の付かない器楽曲にもシューベルトのそういう所が現れています。
シューベルトの作品には死の影があると言いましたが、シューベルトにはやはり何かが見えていたのではないかと思います。
シューベルトはこういった点において唯一無二の存在であり、正真正銘の天才です。
今こうしてCDをかけるだけでそうしたシューベルトの音楽を聴くことができるなんて、私たちは本当に幸せです。みなさんもぜひ、シューベルトの音楽を聴いてみてください!
おわりに
それでは、今日はシューベルトを取り上げました。
今回の記事はYouTube動画でも解説していますので、興味のある方はぜひそちらもご覧ください。動画の方ではシューベルトのBGMにもこだわって作っています。
それでは、また次回お会いしましょう!
殺せ、我自身をも殺せ
業火の流れにすべてを投げ込め
そうして純粋なる存在を
おお、偉大なるものよ、あらしめたまえ。