【作曲家紹介⑥】オペラ王、ジュゼッペ・ヴェルディの生涯とおすすめの名曲、音楽の魅力を解説!

みなさんこんにちは!

みなさんはヴェルディというと何を思い浮かべますか?やっぱりヴェルディというとオペラを思い浮かべる人が多いと思います。実際にヴェルディの作品のほとんどがオペラとなっています。

オペラだけで大作曲家の仲間入りを果たしたヴェルディですが、今回はその魅力に迫ります!

ヴェルディってどんな人物?

人物①宿屋の息子!小さな先生!

ヴェルディ、ジュゼッペ・ヴェルディは1813年に現在のイタリアにあるブッセートの近郊の街ロンコレという村で生まれました。まだ当時のイタリアは統一されておらず、ここはパルマ公国にあたり、当時はフランスに統治されていました。

ヴェルディはこの村で宿屋を経営する父カルロと母ルイージャの下に誕生しました。

ヴェルディの事を農民出身とする説も結構あるのですが、実はこれはヴェルディが年をとってから自分の過去を大げさに話す癖があった事に原因があります。ヴェルディが実際に農民だと語っていたので多くの発言がその伝記の中でも取り上げられていますが、実は真実でないものも混ざっているのです。

実際にヴェルディは自分の生まれを「ああ貧しい村に生まれた私には何一つ自ら学ぶ手立てがなかったのだ・・」といったように語っていますが、それも必ずしも真実ではありませんでした。

さて、そんなヴェルディは幼いころから音楽的な才能を発揮して、ロンコレの少年聖歌隊の指揮者兼、オルガニストのピエトロ・バイストロッキに教わる事になります。

彼はその頃に買い与えられたスピネットという小型のチェンバロをとにかく一生懸命練習したようですね。彼のスピネットの蓋の裏には、「この楽器を学ぼうとするジュゼッペ・ヴェルディの熱意に免じて修理費無料」とも書かれていましすが、彼の熱心ぶりが伝わるエピソードとなっています。

しかしそんなジュゼッペが師事していたバイストロッキ先生はなんと、ヴェルディが9歳の時に他界してしまいます。

そしてなんとヴェルディは9歳にしてその師匠の職務を一部引き継ぐ事になります。その結果ヴェルディは小さな先生、マエストリ―ノと呼ばれる事になるのです!

ロンコレは非常に小さな村ではありますが、それでも9歳で師匠の職務を引き受けるという話は注目に値するでしょう。

人物②音楽を勉強するも、音楽院に入れてもらえない

さて、そんなヴェルディですが、親もその才能に注目し、ヴェルディに勉強させる事を決意します。

彼は11歳で隣街のブッセートで学ぶ事になり、中学校で古典人文学の教育を受ける事になります。そこでフェルディナンド・ブロヴェージから作曲を教わる事になります。

ブッセートのヴェルディ像

ヴェルディは自分では「何一つ学ぶ手立てがなかった」と大げさに語っていましたが、その先生の良し悪しまでは分かりませんが、きちんと先生について勉強しています。

18歳になる1831年には音楽の支援者でもあるアントニオ・バレッツィの屋敷に移り住み、そこからミラノで勉強するための援助も受ける事になります。

そうして次の年にヴェルディはミラノの音楽院を受験する事になりますが、そこで入試を許可されず、不合格となってしまいます。

その不合格の理由は、ピアノの演奏技能が不十分だったことや、外国人である事。そして通常の入学年齢を4年も上回っている事が挙げられています

そのためヴェルディはヴィンチェンツォ・ラヴィーニャの所で個人的な弟子となり勉強する事にします。

ヴェルディはこの頃について、師の下で過ごした3年間は、あらゆる趣向をこらしてカノンとフーガを作る以外、何もしなかった。管弦楽法や劇音楽の手法はだれも教えてくれなかった」と発言しています。

こうしたヴェルディはこの後で援助してくれたバレッツィへの義理から安い給料でブッセートの市の音楽監督に就任する事になります。

人物③才能発揮から最初の成功、そして家族の喪失へ

ヴェルディはブッセートの音楽監督を務めますが、実際の所は広い世界に出ていくことを渇望していました。でも援助してくれたバレッツェへの義理に縛られる事になってしまいます。

しかしヴェルディはバレッツィの長女マルゲリータと結婚し、子供を二人設け、いよいよミラノへと進出する決心をします。

妻マルゲリータ

ヴェルディはそこで「オベルト」とい自身初のオペラを作曲しますが、これが大成功となります。

しかしこうした勢いは長くは続きませんでした。この頃ヴェルディは、子供を二人とも亡くし、さらに妻も亡くしてしまいます。

そしてこの頃に作曲していたオペラ「一日だけの王様はなんと1回で公演打ち切りと、大失敗となってしまうのです。

ヴェルディは回想録において、この曲を作曲中に2か月の間に、子供二人と妻を亡くした、と語っていますが、実際の所、家族の亡くなった時期にはもっと開きがあります。

まあこんなこのような発言からもヴェルディの発言が本当かどうかは結構注意が必要なわけですが、家族を亡くしたという事には変わりありません。

家族との死別、そしてオペラの失敗によりヴェルディはすっかり自信を失って、もう2度と作曲はしないと落ちこむのです。

人物④ヴェルディは情熱的な愛国者。ナブッコの成功

そのようにすっかり落ち込んだヴェルディですが、スカラ座の支配人であるメレッリの説得により、オペラの作曲を始める事になります。

彼がこの時手にした台本は、ナブッコですが、ヴェルディはそこで「祖国を追われたヘブライ人」のセリフ「わが思いよ。金色の翼に乗って」を見て心が震える事になります。

ヴェルディはその時について、「私は非常に感動した。なぜんあら歌詞はほとんどが聖書、しかも読むたびに私に喜びを与えてくれる個所からのパラフレーズだったからだ。」と語っています。

こうして彼はナブッコの台本を何度も何度も繰り返し読んで、一日に1行ずつ作曲を続け、スカラ座で大成功させます。これは秋のシーズンで57回も上演され、イタリア全土だけでなく、全世界へと広まる作品になるのです。

ナブッコ成功の背景

ではナブッコはどうしてこんなに成功したのか、ちょっとその当時のイタリアに触れておきましょう。私は歴史家ではないのであんまり詳しいことは話せませんが、当時のイタリアというのはいくつもの国に分かれていました。そしてそれらの国はフランスやオーストリア、スペインの後ろ盾の下で戦争を繰り返しています。実際にヴェルディが生まれたパルマ公国はフランスに属していました。

そうした中で起ったのがイタリア統一運動というものです。この運動が起こったのはヴェルディがまだ2歳の頃の1815年になりますが、イタリアが統一されてイタリア王国が誕生する1861年まで続きます。その間はイタリア統一戦争が行われるとにかく激しい時代でした。

当時のイタリア

ナブッコにに登場する、祖国を追われたヘブライ人の合唱曲には、「おお、あんなにも美しく、そして失われたわが故郷」という歌詞が登場しますが、これはヴェルディの心だけでなく、オーストリアに支配されていた当時の市民の心にも大きく響く事になりました。

そのような背景もあって、このオペラは成功したのですが、ヴェルディは情熱的な愛国者だった事でも知られています。

ヴェルディが書いたオペラのほとんどは差し迫った革命と戦争の影の中で書かれているのです。

ヴェルディの伝記作家のフォルケットはヴェルディが、「自分のオペラの中で、本能的に音楽で政治活動をしようとしていた、その音楽が劇場内に革命を引き起こして幕を閉じた」と語っています。

ヴェルディが政治的メッセージを込めようとしたかどうかはそれほど重要ではないですが、愛国心に訴える事でオペラが成功すると確信していたことは間違いないでしょう彼はそれを敏感に感じ取って、自分のオペラでもって、イタリア人と一体になって心を震わせるという音楽を作りあげたのです。

人物⑤執念深いヴェルディは苦役の年代へ

ナブッコが成功した後でヴェルディは、ロンバルディア人エルナー二といったオペラを作りますが、それ以降かなりのペースでオペラを作曲する事になります。

何と最初の9年で14曲もオペラを作曲するのです。

これらの年代は苦役の年と言われています。ようするにとにかく仕事が忙しくて、ヴェルディは胃病、喉の障害に悩まさながらも仕事を続ける事になるってしまったのです。

ここでちょっとヴェルディの性格について触れてみましょう。ヴェルディという人は実は結構執念深い人間だった事で知られています。

彼は成功するにつれて、徐々にかなり高額の報酬を要求していくことになります。新しい作品の上演に対しては細かい契約が結ばれることになりますが、その中でもミラノスカラ座だけは、ヴェルディの承諾なしに作品を演奏できないという扱いを受ける事になります。ヴェルディは、自分の「1日だけの王様」がたった1公演で打ち切りになった事を忘れてはいなかったというわけです。その後もスカラ座とはできるだけ関わらないようにしています。

またヴェルディは自分の音楽にかなり拘わりを持っています。上演に際してカット、それから移調、また楽器編成の変更に対しても1000フランの違約金が適応される事となりました。

これは現在のヴェルディ演奏では楽譜には書かれていない高い音を歌う事が結構沢山ありますが、ヴェルディが実際これに何というのかは私もものすごく興味がありますね。契約違反だ!!と言って反対したでしょうか・・・?

人物⑥再婚、そして晩年の生活

このように愛国主義者だったヴェルディですが、オペラの出版に際しては政治的、宗教的な検閲と戦う事になります。ちょっとでもその当時の社会に触れるセリフがあると台本の変更が余儀なくされるというわけです。オペラ「仮面舞踏会」は、スウェーデンのグスターヴォ3世が主役となっているオペラなのですが、これも認められずに、主人公の名前がリッカルドに変更される事で上演される事になります。

そんなことからヴェルディはついに嫌気が指してもうイタリアのオペラからの依頼を受けない事にするのです。後期の傑作、「運命の力」はロシアからの依頼、それから「ドン・カルロ」はフランスからの依頼、そして「アイーダ」はエジプトからの依頼で作られる事になるのは興味深いですね。ヴェルディの「オテロ」は再びイタリアのミラノで初演されますが、これはもうヴェルディが74歳になる年の事です。

このようなヴェルディですが、私生活にも少し触れておきましょう。

ヴェルディは、長年の同棲生活を経て45歳の時にジュゼッピーナと再婚します。これまで忙しくオペラを書いていたヴェルディですが、ジュゼッピーナと同棲した頃からそのペースは少ゆるやかなものになり、農場を経営したりして、少しゆとりのある生活をするようになります。

ジュゼッピーナ

イタリア王国が誕生してからは、初代首相カヴ―ルの勧めもあって国会議員を務めたりもしましたが、本人はまったく興味がなかったようで、特に政治的な活動はしていません。

晩年は音楽以外の仕事に積極的に取り組み、私財を投じて、引退した音楽家のための憩いの家という老人ホームの建設に情熱を傾けました。

ヴェルディは1901年に87歳で亡くなりましたが、妻のジュゼッピーナと共にこの憩いの家に眠っています。

憩いの家

ヴェルディおすすめの名曲

ヴェルディのオペラについてはオペラ紹介コーナーでも一つずつ解説していく予定でいますので、今回は数多くあるオペラの中から、ヴェルディの音楽ってこんなんだよ、と紹介する意味を込めて、抜粋で3曲選んでみました。

名曲①「運命の力」序曲

まずおすすめの最初に選んだのがオペラ「運命の力」の序曲です。

この運命の力というオペラはヴェルディが後期に作曲したオペラになりますが、とにかく美しい。この序曲は有名で聴きやすいですからおすすめの最初に選んでみました。序曲の中ではオペラに登場するレオノーラアルヴァーロなどの登場人物がオペラの中で歌うテーマが最初に演奏されます。

実は私がこの曲を最初に聞いたのは小学校だったか中学校1年生ぐらいの時でした。私はその時吹奏楽部でトランペットを吹いていましたが、なんとその時となりの街の学校がこの序曲を吹奏楽コンクールで演奏していたのです。今にして思えば、ヴェルディを選ぶなんて、なかなか先生も良い選択をするなあ、といった感じですが、クラリネットが美しいメロディーを何度も吹くので、そういう意味では吹奏楽でもやりやすかったのでしょう。この序曲の強烈な出だしと共に今でも記憶に残っています。

まずヴェルディのオペラの感じをつかむためにもぜひ聞いてみてください。

名曲②「リゴレット」より「女心の歌」

それから次のおすすめは、非常に有名でありますが、オペラ「リゴレット」よりマントヴァ公のアリア、「女心の歌」を選んでみました。

ヴェルディのオペラには本当に美しい歌というのがいくつもあるのですが、ヴェルディの特徴の一つはとにかくメロディーが比較的覚えやすい、というのがあります。だから人気が出やすいわけですが、その中でも特に一度聴いたら忘れられない曲、という事でこの女心の歌をおすすめとして選んでみました。

名曲③「ドン・カルロ」より友情の2重唱

そしておすすめの3つ目はオペラ、「ドン・カルロ」よりカルロとロドリーゴが歌う友情の2重唱を選んでみました。このドン・カルロというオペラは本当に名曲揃いですし、私もこの中のロドリーゴという役を実際に演じた事もありますが、ヴェルディはとにかく男性だけの2重唱というのを結構作曲しています。

このオペラのなかではバリトンとバスの2重唱とか、さらには本当にめずらしいんですがバスの2重唱とかも出てきます。ヴェルディの魅力はとにかくアリアだけでなく、こうした重唱にもあるのです。どれも素晴らしいモノばかりですが、ドン・カルロとロドリーゴの友情の2重唱を選んでみました。

素晴らしい二重唱ですからぜひお聴きください。

ヴェルディの音楽の魅力

それではこうしたヴェルディの魅力について話しましょう。

ヴェルディの一番の特徴は、ヴェルディが人間の声の持つパワーをものすごく良く理解していたという事になります。

たくさんの作曲家がオペラを書きましたが、ヴェルディ程人間の声の力を良く理解していた作曲家は他にはいません。

ヴェルディは、その音楽の中で、人間の声の力を最大限に発揮させて、人間の心を掴む音楽を作る事が出来ました。ヴェルディはとにかく台本にすごくこだわっていましたが、その台本のセリフにある心をどのようにして歌として表現すれば聴衆の心に響くかというのがすごく分かっていたのです

ヴェルディというのは、形式的には後期ベル・カント・オペラの作曲家に分類される作曲家です。ベルカント、というのは美しく歌うという意味ですが、ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティといった作曲家が作り上げたベルカントのスタイルを受け継ぎ、そこによりドラマ性を加えました

ヴェルディのオペラを歌うには、ロッシーニを歌う軽い声ではなくて、もっと重くて大きなドラマチックな声が必要になります。

声の力について触れましたけど、オペラ、特にヴェルディのオペラを歌うには、ものすごくたくさんの体のエネルギーを必要とします。オペラを歌うというのは、エネルギーという点でいうと、とにかくずっと体の奥底から叫んでいるみたいなものなのです。

20分泣き叫ぶエネルギーって結構相当なもんだと思いませんか?このようにして体の中からエネルギーを作り出して歌うから聴いている人に何かが伝わるんです。もちろん、これは必要とするエネルギーの例えであって、実際に喉から叫んでいるわけではありませんよ。

ヴェルディは、こうした声が人に伝える力というのをとにかく良く理解していました。

ヴェルディはどういう旋律をつければ、またはどの音域で歌わせれば、それが最も良く発揮されるのかをすごく良く分かっていたのです。

なので、美しいメロディーにリゴレットの嘆き、アイーダの勇ましさ、オテロの勇敢さ、マントヴァ侯爵の自己中さと、そのキャラクターがありありと表現されているのです

ヴェルディは自分の作品が成功するためにも、歌手選びはものすごく重視していました。そうした当時一流の歌手たちと仕事をする中で、どこまでが歌手に可能であるか、どうすれば最も効果を発揮するかを経験的に学んできたんだと私は思っています。

ヴェルディはこの点ではとにかくオペラ作曲家の中でも抜群です。だからヴェルディのオペラは音楽の力、そして声の力でもって僕たちの心を心から揺さぶります。そこには本当のドラマがあります。

みなさんもぜひヴェルディを聴いてみてください。

おわりに

今回は作曲家紹介と言う事で、ジュゼッペ・ヴェルディを紹介しました。

この記事の内容は美しいBGM付きでYoutube動画でも解説してありますから、興味のある方はぜひそちらもご覧ください!

それではまた次回お会いしましょう!

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