みなさん、こんにちは。
今日は作曲家紹介第7回という事で、ドイツロマン派を代表する大作曲家の一人である、リヒャルト・ヴァーグナーを取り上げます。
ヴァーグナーといえば、あの有名な結婚行進曲がありますが、中でも「ニュルンベルクのマイスタージンガー」や「ニーベルングの指輪」、「ローエングリン」などのオペラを作った事で知られていますね。
でもこのヴァーグナーの人生はこれまで紹介してきた作曲家とは違って、とにかく波乱万丈。今回はまずはそんなヴァーグナーの人生から、おすすめの名曲、そしてその音楽の魅力を紹介していきます!
もくじ
ヴァーグナーってどんな人物
人物①音楽好きの一家に生まれる
リヒャルト・ヴァーグナーは1813年にドイツのライプツィヒで生まれました。日本ではワーグナーと言われる事が多いですが、ここでは本人の名前の発音により近いヴァーグナーを採用したいと思います。
ライプツィヒはトーマス・カント―ルとしてバッハが活躍した街ですが、この間紹介したシューマンやメンデルスゾーンなどの多くの音楽家と関りがある重要な街となっています。
ヴァーグナーは警察署書記であった、フリードリヒ・ヴァーグナーとその妻ヨハンナとの間に生まれます。
ヴァーグナーが生まれた家庭はとにかく音楽好きで、家庭での演奏会が良く開かれていたり、当時非常に名声の高かった、カール・マリア・フォン・ヴェーバーといった作曲家とも交流がありました。そんな中でこのリヒャルト・ヴァーグナーは子供時代を過ごす事になりますが、ヴァーグナーはこの作曲家のヴェーバーにたくさんの影響を受けて、後にヴェーバーについて「彼は私の真の親であり、音楽に対する情熱を私の中に呼び起こした」と話しています。
こんなヴァーグナーは9歳になる年にドレスデンの聖十字架教会の付属学校に入学します。
実はこのドイツのザクセン州には、バッハがカントルを務めたトーマス教会学校附属合唱団と、ドレスデンにある聖十字架教会合唱団というのがありますが、この二つの合唱団はドイツ東部の音楽、音楽教育を語る上では非常に重要な役割を果たしています。
私もドレスデンの近くの劇場で歌っていましたが、その辺りだと、とにかく指揮者から歌手から、この二つの合唱団出身の音楽家が今でも沢山いるのです。そして彼らはバッハやヴァーグナーとか偉大な作曲家の精神を少なからず受けついでいることを誇りに思っているわけです。
私も一度この十字架教会で演奏をした事がありますが、やはりそういう伝統的な場所で演奏する事はドイツにいてよかったなあ、と思う瞬間の一つです。
それでは、ヴァーグナーに戻りましょう。ヴァーグナーはこの後ライプツィヒに戻ってから演劇と音楽に夢中になります。そしてベートーベンの交響曲に接して、自分も音楽家になろうと決心するのです。
この時期にはベートーベンの交響曲第9番をピアノ用に編曲して、出版社に持ち込んだりもしています。
ヴァーグナーはそのまま地元のライプツィヒ大学に進学します。この頃は丁度シューマンもライプツィヒ大学で法律の勉強をしていましたが、二人に接点があったという話はあまり聞きません。
ヴァーグナーの面白い所は、本を読んで独学で作曲を勉強しようとする事です。この頃の彼は、いろいろと勉強していて最初にして最後の交響曲ハ長調を作り、または21歳になる1834年には早くも音楽監督としてデビューしイタリアのオペラ作曲家ベッリーニに大きな影響をうけて、Liebesverbot「恋愛禁制」というオペラを完成させます。
人物②音楽監督でオペラの勉強
後にドイツオペラの作曲家として頂点を極める事になるヴァーグナーですが、この音楽監督時代にどんな仕事をしていたのか、ちょっと見てみましょう。
彼はこの時に指揮者として様々なオペラを上演していますが、非常に興味深い点としてロッシーニやベッリーニなどのイタリアオペラを積極的に上演している事があげられます。
さっきもちょっと出てきましたが、「Liebesverbot(恋愛禁制)」はベッリーニのオペラをお手本にして書かれています。私もこのオペラには少し触れた事がありますが、後のヴァーグナーのオペラとは違って、明らかに旋律が意識されています。
ヴァーグナーは「ベッリーニの作品は旋律的手本を自分の音楽に与えてくれた。」と語っていますが、こうしたイタリア様式のオペラを作曲しただけでなく、自分でも積極的に演奏していたわけです。
こうした中から後程、ロマンチックオペラの頂点を極めるローエングリンが誕生する事になります。
人物③夜逃げ、刑務所
ヴァーグナーはこの後ケーニヒスベルク劇場の音楽監督に就任した後に、現在のラトビアの首都リーガで音楽監督に就任します。
そこで彼はモーツァルトの「フィガロの結婚」や「魔笛」などを上演しますが、どういうわけか借金を沢山つくることになり、債務者から逃れるために夜逃げする事になってしまうのです。
この辺りからこのヴァーグナーの人生は非常に波乱万丈なものになっていきます。
リーガから、夜逃げした彼は最終的にはパリに落ち着く事になります。
この頃のパリは豪華な歌劇場と大勢の劇団員を所持しており、いわゆる大規模なオペラである、グランド・オペラというスタイルを確立させている時期でした。その時期にパリで活躍していたのがマイアベーアやベルリオーズといった作曲家たちで、ヴァーグナーも彼らの音楽を聴いて、非常に興奮したと言われています。
ヴァーグナーも後々大規模なオペラを作曲する事になりますが、そういう影響をパリでも受けたわけですね。
それからパリにいる間には言語学者のザミュエル・レールスと出会い、彼はローエングリン、そしてタンホイザーの伝説にも出会います。
しかしヴァーグナーは私生活においては、どういうわけか多くの負債を抱えることになり、結局負債を返せずに一時刑務所にまで入れられてしまいます。しかしこの時、妻のミンナがヴァーグナーを支えました。
人物④ドレスデンの宮廷劇場から亡命へ
そんなヴァーグナーはドレスデンの宮廷歌劇場の音楽監督になるべく、ドレスデンに戻ってきます。
彼はここで、それなりの給料を貰ってその仕事をする事になりますが、それを債務者たちが放っておくはずがありません。ヴァーグナーの所には再び借金取りが訪れるようになりました。
それと同時に、ヴァーグナーは自分が作曲したオペラ、「リエンツィ」、「さまよえるオランダ人」、それからタンホイザーを自費出版し、さらに多くの借金を抱えてしまいます。
さて、いよいよ事件が起こります。この19世紀のヨーロッパというのはイタリアもそうですが、とにかく、小さな国がたくさんあったために、争いも多い時代でした。。そんな時に1849年の5月にドレスデン蜂起という出来事が起こります。
ヴァーグナーはこの戦闘にこそ参加はしていませんでしたが、実際にメンバーにはなっており、深く関与していたために逮捕状が出されます。
リストのおかげでなんとかパリ経由でスイスに亡命する事に成功しますが、当時のザクセン王は逮捕されていれば死刑となっていた可能性が非常に高かったとまで語っています。
夜逃げから刑務所、そして更なる借金でついには亡命生活へと追いやられたヴァーグナーですが、傑作が誕生するのは面白い事にこれからになります。
ヴァーグナーはスイスのチューリヒにいる間、指揮をして実際の音楽活動に携わりながら、ニーベルンゲンの指輪の台本を完成させます。ただこの頃のヴァーグナーは定職についていたわけではなかったので、「とにかく金がなくて困っている」と口にしています。実際の所彼の収入はドレスデンのルーリエ・リッター婦人から送られてきた援助だけでした。
話がそれますが、私のドイツ語の発音の先生であり、良き友人でもあるレナーテ・ハウスマンはドレスデンの出身なのですが、彼女のおじいさんがこうしたヴァーグナーに援助していた人の一人だったという話を聴きました。19世紀の作曲家にもなると、まだなくなって100年ちょっとなので、人づてにいろんな話を聞くことができたりします。
人物⑤ルートヴィヒ国王、そしてコジマとの関係
そのようにいろいろな所から援助を受けたり、金を借りたりして生活していたヴァーグナーですが、面白いのは、ちょっと成功してお金を得ると、そのお金をすぐに使ってしまう所になります。
彼は演奏旅でなんとかお金を稼ごうとして、ロシアで結構な収益を得る事ができましたが、それで見通しが良くなったと思うとすぐに豪邸を買ってしまったのです。しかしそのご情勢が不安定になってロシアに行くことができなくなり、またしても経済的なピンチになってしまう・・。
しかし、そんな彼にもとうとう救いの手を差し伸べる人がやってきました。その名も当時のバイエルン国王であるルートヴィヒ国王です。ルートヴィヒ国王はヴァーグナーに対して、彼がすでに台本を完成させていた指輪の完成を条件に巨額の年俸、それからすべての借金の肩代わりを申し出ます。
これはヴァーグナーにとっては本当に願ってもいない話でしょう。ルードヴィヒはなんと20年間で総額52万1063マルクもの援助をしていますが、ぜひ興味のある方は今の価値でいくらぐらいになるのか調べてみて下さい。
これはかなりの額になる事は間違いないと思いますが、この頃のヴァーグナーはまだ最初の妻のミンナと結婚中だったにも関わらず、亡命を手伝ってくれたフランツ・リストの娘であるコジマと今でいう不倫をしてしまいます。
コジマは指揮者のフォン・ビューローと結婚中でしたが、すでにその時にヴァーグナーとの間に娘を身ごもっていました。
結局コジマはヴァーグナーとの間にできた娘イゾルデとエーヴァを連れてヴァーグナーの下にやって来る事になります。フォン・ビューローとの離婚が成立するとこの二人はようやく正式に結ばれる事となりました。
ちなみに最初の奥さんであったミンナは、ヴァーグナーがスイスにいる間にした浮気が原因で長い間別居中でしたが、ヴァーグナーが再婚する2年前に病気で亡くなっていました。
人物⑥バイロイト音楽祭の誕生
ルートヴィヒ国王の援助の下で、ヴァーグナーは「二―ベルングの指輪」の「ラインの黄金」や「ワルキューレ」がミュンヘンの劇場で初演されます。この頃からヴァーグナーは「指輪」を自分の劇場で上演する事を望むようになります。ちなみに「ニーベルングの指輪」というのは、「ラインの黄金」、「ワルキューレ」、「ジークフリート」、そして「神々の黄昏」という、4つのオペラからなる長大な作品となります。
そしてそのヴァーグナーの理想を現実するべく建設されたのがバイロイト祝祭劇場であり、バイロイト音楽祭ですね。
この劇場はヴァーグナーのオペラを上演するために立てられた専用の歌劇場となりますが、この劇場を見ていくとヴァーグナーが自分のオペラに何を期待していたのかが良く分かってきます。この劇場は客席数が2000弱とドイツでもかなり大きな劇場にあたります。
ちなみにドイツには客席数が300ぐらいから800席ぐらいの小さな歌劇場がいっぱいありますし、大きな所でも1400席ぐらいです。実は私たちが慣れ親しんでいる日本のホールというのはとにかく大きくて立派なものとなっています。
さて、ドイツでも大きなこの劇場には、ふんだんに木が使われており音響も優秀です。そして特筆すべきは、オーケストラピットが舞台の下に入り込んでいて、実際には蓋がされているような形になっている事です。これは歌手の声と歌詞がオーケストラの音量に邪魔されないようにとの配慮からこうなっています。
ヴァーグナーおすすめの名曲
名曲①ジークフリート牧歌
それではヴァーグナーのおすすめの名曲を紹介しましょう。おすすめはオペラですと言いたいところですが、ヴァーグナーのオペラはほとんどが3時間を超える大作ばかりなので、そういう意味ではヴァーグナーはこれからオペラを聴いてみようという人にはなかなか勧めづらい作曲家ではあります。
そんな中でいろいろと考えて、これからヴァーグナーを聴いてみようと思う人におすすめの名曲を3つ選んでみました。まず最初に選んだのがジークフリート牧歌です。
ジークフリートというのは「ニーベルングの指輪」に登場する主人公で、オペラ「ジークフリート」、それから「神々の黄昏」に登場します。そしてこの名前はヴァーグナーの息子の名前でもあります。
そしてジークフリート牧歌はヴァーグナーが、二人目の妻コジマがジークフリートを生んだ後で、彼女のために書いた作品となっています。
これは小編成のオーケストラのために書かれた室内楽的な作品となっていて、非常に美しいです。この曲にでてくる旋律が後にできるオペラ「ジークフリートとブリュンヒルデの愛の場面」にも使われています。
25分ぐらいの非常に美しい曲ですからおすすめです。
名曲②マイスタージンガー前奏曲
さておすすめの2曲目ですが、これは数多くあるオペラの中から、そのとっかかりとして前奏曲を選んでみました。ヴァーグナーのオペラの前奏曲には中々すばらしいものが沢山ありますが、今回選んだのは「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の前奏曲になります。
実はこのオペラは私がドイツの歌劇場で初めて歌ったオペラでもあるのですが、ヴァーグナーのオペラの中ではめずらしく喜劇となっています。喜劇といっても実際には休憩もいれて6時間もあるので、演奏する方も見る方も体力がいりますが、この前奏曲がとにかく素晴らしく、単独で演奏されることも多いです。
前奏曲だけでかなりの完成度となっていて、これを聴くだけでもかなりの満足感を得られる事間違いなしの1曲となっています。
「ヴァルキューレ」より「冬の嵐」
おすすめの名曲3曲目には、「ヴァルキューレ」の中から、主人公のジークムントが歌う美しいアリア、「冬に嵐」を選んでみました。
オペラの内容に関する話はいずれオペラ紹介コーナーでやる予定ですので、ここでは省きますが、このジークムントというのはいわゆるヘルデンテノールというヴァーグナーのオペラで大活躍するテノールによって歌われます。
このヘルデンテノールというのは、バリトンのような太い声を持っているにもかかわらず、テノールのような輝きのある高音を持った歌手と考えていただければ良いと思います。
ヘルデンテノールはとにかく、声が育つまでに時間がかかる事もあり、ビジネスが優先される現代では、どんどんその数が少なくなっていますが、これもヴァーグナーの魅力の一つですから、この美しいアリアをおすすめの一つとして紹介してみました。
ヘルデンテノールの響きをぜひご堪能下さい!
ヴァーグナーの音楽の魅力
それでは最後にヴァーグナーの音楽の魅力にいきましょう。オペラの巨匠ヴェルディと同じ年に生まれたヴァーグナーはドイツオペラの頂点を極めました。その魅力はなんといってもオペラにありますが、これが同じ年のヴェルディとはずいぶんと違います。
ヴェルディのオペラで主役となるのは何よりも歌の旋律です。歌い手、そして声の力でもって物語がぐいぐいと先に進んでいきますが、ヴァーグナーのオペラはこうしたイタリアのオペラに慣れている聴衆には、とにかくメロディーが良く分からなくて、なんだか難しく感じてしまいます。
メロディーというのは、すぐに覚えられる方が親しみやすいですからね。なのでそういう意味ではヴァーグナーというのは一回聞いただけではなかなか覚えられない。というのもヴァーグナーのオペラというのは、旋律主体というよりは、オーケストラが奏でる和音の進行がエンジンとなってどんどんと先に進んでいくからです。
ただ、このヴァーグナーの使ったオーケストラというのが実に見事で、その響きはCDだと分かりづらいのですが、生で聴くとその豊かな響きからある種の快感となります。なので長丁場になりますが、ヴァーグナーはやっぱりライブが一番楽しいです。
さて、こんなヴァーグナーの肝心の歌ですが、これはヴァーグナー自身が台本を書いている事もあって、言葉のリズムとメロディーというのが本当の良く合っています。なので、きちんと歌うと本当に美しい音楽になります。
ただヴァーグナーを歌う歌手というのは、常に大音量のオーケストラに負けないように、と必死で歌う事になってしまう事が多いです。この責任はオーケストラの音量が大きすぎる事にあるのですが、やっぱりこうなってしまうと、どうしても荒削りになってヴァーグナーの本当の音楽の良さというのがでてきません。なので実際に演奏されている演奏水準とヴァーグナーの書いた音楽というのには、若干の開きがあります。本当に高水準のヴァーグナーの録音演奏を探すのは凄く難しいです。
後はやはりヴァーグナーがニーベルングの指輪で選んだ、題材というのは非常に興味深いです。ヴァーグナーは死語となってしまった、ラテン語系のイタリア語やフランス語では真のドラマを作る事はできないけれど、ドイツ語だったらそれができると信じていました。
それで自分で台本を書いたわけですが、この台本というのはただストーリーを描いただけではありません。台本というのは詩の形式で書かれているので、しっかり文末で韻が踏まれるようになっているのです。
さらに二―ベルングの指輪の頃には、単語の頭の子音を揃えるという韻律が用いられています。例えばさっきも紹介した冬の嵐の最初の行の歌詞ですが、最初の行では子音のWが並んでいて、次の行ではLが並んでいます。旋律やオーケストラの美しさだけでなく、そこで発せられる子音の並びとかにも美しさがでるように作曲されているわけです。
ヴァーグナーの魅力って言うのは、とにかく音楽だけでなく、こういう題材や詩の魅力が、詩や文学が好きな人をも虜にしてしまうのです。こうして熱狂的なヴァーグナーのファンが誕生するわけですが、このような熱狂的なファン達は本当にこうした事に詳しいですよ。
おわりに
というわけで、今回は作曲家紹介第7回という事でヴァーグナーを取り上げました。
この話はYoutube動画としても解説していますので、興味のある方はぜひそちらの方もご覧ください!
Winterstürme wichen dem Wonnemond,
in mildem Lichte leuchtet der Lenz;
※頭の子音が揃っている。