ベートーベンの苦悩とハイリゲンシュタットの遺書!遺書全文を紹介!

みなさん、こんにちは。

前回の作曲家紹介ではベートーベンを取り上げましたが、今回はベートーベンが残したハイリゲンシュタットの遺書を一緒に読んでいきましょう。

また、遺書を読み終わった後では、ベートーベンの癒しとしまして、彼が晩年に残した特別に美しい音楽をいくつか紹介していきたいと思います。

それでは早速ハイリゲンシュタットの遺書について見ていきましょう。

ハイリゲンシュタットの遺書について

遺書を書いた頃のベートーベン

ハイリゲンシュタットの遺書は、ウィーン郊外で耳への負担を減らすために療養中だったベートーベンが弟のカールに当てた遺書になります。この遺書は全部で手紙4枚分と、結構な長さになりますが、1802年の10月6日に書かれ、さらに10月10日には半ページ分ほどのベートーベンのメッセージが追記されています。

ハイリゲンシュタットの遺書

今回はその遺書全文を紹介します。ハイリゲンシュタットの遺書はロマン・ロランが書いたベートーベンの生涯という本の日本語訳でも読むことができますが、今回は私が自分で訳してみました。

ハイリゲンシュタットの遺書全文:

私の弟カールと(ヨハン)ベートーベンへ

おお、君たち、私を敵対心溢れ、頑固で、人間嫌いだと思い、またそう噂する人々よ。いかに君たちが不当であることか!!

君たちは私がそのように見える秘密の原因を知らないのだ。

私の心、そして私の精神は子供の頃から優しい感情に傾いたものであった。そして私は偉大なる行いを進んで成し遂げるべきだとも考えていた。

だけど考えてみておくれ!私はここ6年ばかり治る見込みのない病に侵されているのだ。無能な医者のせいで状態は悪化するばかりなのだ。

私の状態が良くなるかもしれないという希望は、年が変わる度に欺かれる事となってしまった。そしてついにはこの状態がそう簡単には治らない物である事、もしくは回復不可能であるという事を受け入れざるを得なくなってしまったのだ。

私は情熱的で活発な性格の下に生まれ、社交の楽しみを進んで受け入れる性格であったが、人生のまだ早い段階において人々から距離を取り、孤独の下に生きていかなければならなくなってしまったのだ。

私は時にはそれを乗り越えて外へと出ていきたいと思いもしたが、その都度私の耳が聞こえないという悲しい事実を2倍にも目の当たりにし押し戻されてしまったのだ。それがどんなにつらい事か!

私には人々に対して、もっと大声で話してください。叫んでください。私は耳が聞こえないのです。と言う事が出来なかったのだ。

ああ、いったいどうして私に聴覚の衰えを打ち明ける事が可能だっただろうか。それは私にとっては他の人々よりも完璧でなければならないはずのものなのだ。かつてごく限られた専門家だけが持ちうるものであり、私が完璧に持っていたものなのだ。おお、私には打ち明ける事などできない。

だから君たちが、もし私が避けている姿を目にしたとしてもどうか許して欲しい。本当は私も君たちの仲間に加わりたいのだ。それだけに、私が間違った受け取り方をされるという点においてこの私の不運が私を二重に苦しめる。私には人々の輪に入って元気を回復させたり、相談し合ったり、互いに心の内にある事を言い合ったりする事さえ許されないのだ。

本当にほとんど一人きりなのだ。人々の輪に入っていくのは、それがどうしても必要な時だけなのだよ。

だから私は人々を避けている人物であるかのような生き方をしなければならない。私は私のこうした状態が知られてしまうのではないかという大きな不安におびえている。田舎で過ごしたここ半年の間もそうだった。私は、できるだけ聴力を温存するようにという分別のある医者の助言に従がったのだが、これは私の考えにも一致するものだったのだ。でもそれでも時には人々の所へ出たけていきたいという強い欲求に負けてしまう事もあったのだ。

しかし私の隣にいる人にフルートの音色が聞こえて私には聞こえない事が、そして時には隣の人に羊飼いの歌声が聞こえているのに私には聞こえない事が、なんと屈辱だったことか!。

これらの出来事は私を絶望させた。そして私が自分の人生を終わらせるまであとほんの少しであった。芸術だけ、芸術だけが私を引き止めてくれたのだ。

私には自分が使命を果たすまではこの世を後にすることができないと思われたのだ。このようにして私は惨めなこの人生を続けなければならなかった。本当に惨めだ。私は、ほんの少しの変化によって最高の状態から最悪の状態へと投げ落としてしまう、不安定な体を引きずって生きてきたのだ。

忍耐。今や私が案内役とすべきものは忍耐であると人々は言う。私にはそれがある。私は耐えようとする決意が長くもちこたえてくれればと願っている。運命の女神パルカがその生命の糸を切るその時まで。もしかしたら良くなるかもしれないし、良くならないかもしれないが、覚悟はできている。私は28歳において悟った人間になる事を迫られているのだ。しかしこれは簡単ではない。芸術家にとっては他の誰よりも難しいのだ。

神よ!あなたには私の心の中が見えている。分かっておられる。そこには人類への愛と善行への愛着がある事をご存じのはずだ。

おお、人々よ。君たちがいつかこの手紙を読むことがあるならば、君たちの扱いがいかに不当であったかを考えてくれ。そしてもし不幸な人がこれを読んだのであれば、あなたと同じような境遇にあった人間が、自然がもたらしたあらゆる障害にもかかわらず、尊敬に値する芸術家として人々に受け入れられるために全力を尽くしていたという事を慰めとして欲しい。

お前たち、弟のカール、そしてヨハンよ。私が死んで、シュミット教授がまだ生きていたならば、彼に私の診断書を書いてもらうように頼んで欲しい。そしてその診断書をこの私の手紙に添えてほしい。できるだけ多くの人が私の死後、私と仲直りできるように。

それと同時にお前達には、わずかながら私の財産を残したい。これを財産と呼んでよいのであればだが・・。二人で正直にそれを分け合ってほしい。互いに仲良く助け合ってほしい。お前たちには、自分達が私になにをしたのか分かっていると思うが、私はもうそれを許している。

カールよ、お前には特に、ここ最近私に対して示してくれた態度に感謝したい。私の望みはお前たちが私よりも良く、心配のない人生を送る事だ。子供たちには美徳を教えるのだ。美徳だけが幸せにさせてくれる。決してお金ではないよ。これは私の経験から言っているものだ。私を惨めな生活から救ってくれたのがまさにそれだからだ。私の人生が自殺によって終わらなかったのは芸術と美徳のおかげなのだ。さようなら。互いに愛を忘れずに!

またすべての友人たちに感謝したい。特にリヒノフスキー侯爵、それからシュミット教授には。リヒノフスキー侯爵の楽器が君たちの所で保管される事を私は望んでいるが、どうかそれで争う事はしないでほしい。

しかしそれが何かの役に立つ事があるのであればそれを売って欲しい。私が死んだ後でも君たちの役に立つことができてどれだけ嬉しい事か。そうなってほしいものだ。私は喜んで死に行くだろう。

もしその時が自分の芸術的な能力をすべて発揮する前にきてしまったら、いくら私の運命がすでに過酷だといっても、それは早すぎるだろう。なのでもう少し後に来ることを願っている。でも仮に早く来たとしても私は満足だ。それは私を終わりのない苦しみから解放してくるではないか?だから来たい時に来ればよい。私は勇敢に君について行くだろう。

さようなら。そして私が死んだとしても忘れないで欲しい。私はそうされるのに相応しいのだよ。私はこれまで人生においてお前たちが幸せになれるようにと、よく考えていたのだから。だからきっとそうして欲しい!

ハイリゲンシュタット 1802年10月6日 ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン

※日本語訳:車田和寿

ここまでがハイリゲンシュタットの遺書の全文になります。

この手紙は全部で4枚になりますが、実はその4日後に以下の文章が追記されていますので、そちらも紹介しましょう。

ハイリゲンシュタットにおいて 1802年10月10日

私はこれで君からお別れする事になる。本当に悲しい事だ。親愛なる希望よ!私はお前と共にここにやって来、ある時期までは、回復するかもしれないとも思っていた。でも今、君と完全に分れなければならない。木々の葉が秋に色を変えて落ちてしまうように。希望もそれと同じように枯れはててしまった。ここに来た時とほとんど同じようにして私は去る。美しい夏の日々に私を勇気づけた気持ちも失せてしまった。おお、神の摂理よ!どうかもう一度喜びに満ちた一日を私に見させてください。もう私の心の中に真の喜びがなくなってから、どんなに長い時が経った事でしょう。いつ?おお、神よ!いったいいつになったら私は自然と人間との神聖なる世界の中で再びその喜びを見出す事が出来るのでしょうか?もう二度とない?ああ、それはあまりにも酷すぎます!

ベートーベンの晩年の音楽

晩年のベートーベン

このような苦しみに生きたベートーベンですが、自分の使命を全うするために生き、これから様々な傑作を誕生させます

ではベートーベンは最後どのような気持ちで人生の終わりを迎えたのでしょうか?希望と決別したベートーベン、神にむかって嘆いたベートーベンの心はどうなったのでしょうか?最後にそれを見ていきましょう。

ベートーベンは1823年から24年にかけてミサ・ソレムニス交響曲第9番という大作を完成させますが、その後はなんと亡くなるまでの3年間で室内楽の弦楽四重奏曲12番から16番までの作曲に集中します。

そしてベートーベンが何を感じていたのかというのが実はこれらの曲に良く表れています。

これらの弦楽四重奏というのはこれまでのベートーベンのように希望が前面に出る音楽とは少し異なり、室内楽という性格もあるでしょうが、とにかく非常に内面的な曲となっているのです。

とにかくベートーベンの内面が感じられる曲となっています。

その中でもベートーベンの音楽の美しさが良く表れているのは緩徐楽章です。12番から16番までどれをとってもこの緩徐楽章は非常に美しいです。

ベートーベンは15番を作曲する前に1か月ほど病気にかかっていましたが、この緩徐楽章にベートーベンは「病癒えしものから神への聖なる感謝の歌。リディア戦法による」と書き加えています。

私はこの12番から16番までの弦楽4重奏を聴いていると、ハイリゲンシュタットの遺書で書いていた、自分の芸術家としての使命を達成し、ようやくある種の安らぎを見つける事ができたのではないかというように思います

ハイリゲンシュタットの遺書でもって病から直るという希望とは一度決別したベートーベンですが、音楽の中で希望を見失う事はありませんでした。その希望のエネルギーで交響曲第9番など傑作を次々と生みだしたベートーベンが最後にたどり着いたのが、こうした癒しであり安らぎだったんです。

これらの素晴らしさは特に弦楽4重奏13番の第5楽章のカヴァティーナや弦楽4重奏第15番第3楽章のモルト・アダージョ、16番の第3楽章レントなどに良く表れています。

※弦楽四重奏曲第13番より第5楽章カヴァティーナ

※弦楽四重奏曲第15番より第3楽章モルトアダージョ

※弦楽四重奏曲第第16番より第3楽章レント

前回ベートーベンのおすすめ3曲を紹介しましたが、さらにベートーベンに興味があるかたは、ぜひこの後期の弦楽四重奏曲を聴いてみてください。

おわりに

それでは、今回はベートーベンのハイリゲンシュタットの遺書を取り上げましたが、この辺までにしましょう。

YouTubeチャンネル「クラシック名曲広場」においても動画解説があります。クラシック名曲広場は一人の音楽家が音楽の素晴らしさを本気で伝えようとするチャンネルです。みなさんもぜひチャンネル登録もよろしくお願いします。

それではまた次回お会いしましょう。


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