みなさん、こんにちは、車田和寿です。
作曲家紹介第11回目はあのカノンを作った事で非常に有名な、ドイツの作曲家パッヘルベルを紹介します。
このパッヘルベルのカノンはバッハのG線上のアリアと並んで、非常に人気なクラシック音楽となっていますが、バッハと比べるとこのパッヘルベルという人がどんな人物だったのかほとんど知られていませんね。
しかしこのパッヘルベルは当時のドイツにおける最高の進歩的な作曲家であり、主にオルガンや鍵盤楽器の作曲家、そしてプロテスタントの教会音楽の作曲家として非常に評価が高い人物として知られています。
今回はそんなパッヘルベルの生涯と人物を紹介していきたいと思います!
(※サムネイル写真の人物はパッヘルベルだとされていますが、同名の別人物である可能性が高いです。)
もくじ
ニュルンベルクからアイゼナハまで
パッヘルベルは1653年にドイツのニュルンベルクで生まれました。ドイツの偉大な作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生まれたのが1685年ですから、ちょうどそのバッハの親の世代であると覚えておくと分かりやすいです。
ちなみにパッヘルベルが活躍したこの時代をバロック音楽の時代とも呼んでいます。
パッヘルベルは子供時代から強い知的好奇心、そして優れた音楽的才能を発揮しました。
地元の一流の音楽教師から音楽を学んだパッヘルベルは、アルトドルフの大学に入学すると、早速聖ロレンツ教会のオルガニストを務める事になります。
しかし父の援助を得られずに一年で大学を辞めてしまいます。そんな彼は1674年に後にウィーンの聖シュテファン大聖堂の副オルガニストに就任し、南ドイツやイタリアの音楽にも触れますが、77年にアイゼナハの宮廷オルガニストに就任します。
アイゼナハという名前を聴いて、ピンときた人もいるかもしれませんが、ここアイゼナハはバッハが生まれた街、そしてルターが聖書をドイツ語に訳したヴァルトブルク城がある事で知られています。
パッヘルベルがアイゼナハにいたのはバッハが生まれるわずか7年前の事になりますが、実はパッヘルベルと音楽一族だったバッハ家との間には交流がありました。
中でもパッヘルベルはヨハン・ゼバスティアン・バッハの父であるアンブロージウスと交流もありました。その結果彼はアンブロージウスの娘ヨハンナの代父、いわゆるゴッドファーザーにもなっているのです。また父アンブロージウスの依頼により、息子ヨハン・クリストフ(J.S.バッハの兄)の音楽指導もしています。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハはこの兄のヨハン・クリストフからも音楽的な手ほどきを受けているといわれていますので、そう考えると、パッヘルベルの影響も受けていると考えるのが妥当でしょう。
エアフルト時代
パッヘルベルがアイゼナハに滞在した時期はわずか1年と非常に短いものでしたが、その後彼は近くのエアフルトという街のプレディガ―教会のオルガニストに就任します。この間もバッハ家との交流は続いていました。
そしてエアフルトでオルガニストに就任した事で、パッヘルベルはオルガニストとして大きく成長を遂げる事になります。
というのもこのオルガニストの職務というのは中々レベルの高い内容のものだったのです。
プロテスタントの教会では、コラールという讃美歌が民衆によって歌われます。これがプロテスタントの教会においては非常に重要な要素となっているのです。
コラールと言うのはみんなが歌いやすいように、覚えやすくシンプルな旋律なのですが、この教会のオルガニストは、みんなが歌う前にそのコラールの旋律をもとにした前奏曲をオルガンで演奏しなければならない決まりでした。このようなオルガン曲を、オルガン・コラールなどといったりしますが、パッヘルベルはエアフルトにいた12年間で、オルガン・コラールを沢山作曲する事になりました。
実はバッハも“主よ人の望みの喜びよ”など多くのオルガン・コラールを作曲しましたが、その前進となり、この分野で大きく貢献したのがパッヘルベルだったのです。
ニュルンベルクのオルガニスト
その後パッヘルベルはエアフルトのオルガニストを辞職すると、シュトゥットガルト、ゴータのオルガニストを経由して、1695年にニュルンベルクの聖ゼ―バルト教会のオルガニストに就任します。
この間、彼はイギリスのオクスフォードのオルガニストのオファーを受けていますが、それを断っています。
ニュルンベルクのオルガニストになってからの彼は、今度はマニフィカト・フーガと呼ばれるものを沢山作るようになります。マニフィカトというのは教会で歌われる聖歌の一種ですが、このテーマをもとにフーガを沢山作曲したというわけです。これもバッハの傑作であるフーガの技法に通じるものがありますが、パッヘルベルはここではそれ以外に声楽曲も多く作曲しています。
パッヘルベルは1706年にここニュルンベルクで52歳で亡くなりましたが、彼は人生において非常に多忙なオルガニストでした。しかし作品はオルガン曲だけにとどまらず、チェンバロや室内アンサンブルのための、曲、それから声楽曲と多岐にわたっています。
パッヘルベルの最大の功績は、先にも触れましたが、オルガン・コラールの分野において大きな貢献を果たした事でしょう。オルガン・コラールとは何か、という話については、またいつか動画を作って説明してみようと思いますが、あのヨハン・ゼバスティアン・バッハに影響を与えたことはやはり音楽史においては無視する事ができません。
現在ではパッヘルベルのカノンばかりが取り上げられるパッヘルベルですが、多くの作曲家の名前が忘れられてしまった17世紀において、忘れられることがなかった彼は、当時ドイツでも最も優れた音楽家だったという事はぜひ押さえておきたいポイントです!
パッヘルベルのカノン 鑑賞のポイント
鑑賞のポイントについてはYoutubeの動画で解説していますので、興味のある方はぜひ続きをご覧ください!