こんにちは。
みなさんは普段どんな歌手の演奏を聴いていますか?私はもっぱら昔の大歌手の演奏ばかり聴いています。
最近車の中で良く聞いているのが、テノールのアウレリアーノ・ペルティレ、それからエンリーコ・カルーソーの二人になります。
私がまだドイツに留学する前は、良くべニアミーノ・ジーリとティート・スキーパのCDを買いあさりました。アリア集だけでなく、それらの歌手のオペラ全曲盤の録音も渋谷のタワーレコードで見つけ次第購入していましたね。
これらの歌手は皆第2次世界大戦前に活躍した歌手ですから、相当古いですね。大戦後の歌手で私が最近良く聞くのはフランコ・コレッリ、マリオ・デル・モナコ、フランコ・ボニソッリあたりでしょうか。
ここで挙げたのはテノールばかりですが、まあ昔から本当にテノールばかり良く聞いていますね。(でもここで挙げなかっただけでソプラノもバリトンもバスもそれなりに良く聞いていますよ。)
さて、実は私が昔の大歌手の演奏ばかり聴いているのにはきちんとした理由があります。今歌の勉強をしている人はもちろんですが、オペラファンの人達にもぜひとも聴いてもらいたい!
今回はどうして昔の大歌手の演奏を聴くべきなのかについて話したいと思います!
もくじ
本当に素晴らしいから!(体を楽器として作りあげ歌唱というスタイルを確立していた)
まず最初の理由ですが、本当に素晴らしい歌手が多いからです。これは決して昔を懐かしんで言っているわけではありません。
昔の大歌手は当たり前のようにみんながきちんとした技術を持って歌っていました。とにかくこれらの大歌手の中では“歌唱“というスタイルがはっきりと確立されていたんです。
この時代の歌手たちの多くは、きちんと勉強しており、自分の体をしっかり歌うための楽器として作り上げていました。そして歌うという事がどういうことなのか、しっかり分かっていました。
かつてマリオ・デル・モナコが“声にとって一番悪いことは話すこと“だ、と言いっていましたが、これは決して間違ってはいません。話すという行為は誰でも物心ついた時からやっている、自然な行為なわけですが、オペラを歌う時は決してそうではないからです。オペラを歌うためには、まずは自分の体を楽器として作り上げなければなりません。具体的に言うと首の筋肉を使って、喉を自然に下げて、その奥のスペースを最大限に利用しなければいけないのです(もちろんこれだけではありません)。そうした訓練の末にできたのがオペラ歌手の声です。なので歌うという行為は、同じ声を出すという行為でも、普段話す行為とは似て非なるものなのです。
しかし話す事と歌う事を区別するのは決して簡単なことではありません。なぜなら話すという行為は私たちにとってある意味最も自然な行為だからです。なので私たちは歌うときに、どうしてもこの話すときの影響を受けてしまいます。もっとはっきり言うと、話すときの癖の悪影響を受けてしまうんです・・。
例えばオペラ歌手は舞台の上では言葉をはっきり発音しなければなりませんが、言葉をはっきり発音しようとすると、ついつい普段話しているように、歌ってしまいがちです・・。具体的には母音が浅くて広く平べったい感じになってしまいます。これは一見母音がはっきりしており、さらに歌詞が聞き取りやすくなったように感じられますが、単にメロディーの上でしゃべっているにすぎません。たいてい言葉が聞き取りやすくなった反面、歌手にとって最重要となるレガートが失われてしまいます・・。
しかし昔の大歌手の多くは、まずはオペラ歌手として歌うための訓練を最初にみっちりやっています(楽器を作り上げています)から、メロディーにのせてしゃべると言う事はありませんでした。彼らはメロディーに乗せてしっかり歌う事が出来たんですね。歌手なんですからやっぱり歌わなければなりません!
カルーソーはレチタティーボもしっかりと歌っていました。
私が昔の大歌手の歌唱が確立していた、というのはそういう事です。
昔、特に戦前の大歌手はこれが本当に良くできていました。むしろこの点に関して言えばできていなかった人を探すのが難しいぐらい、広く浸透していました。
現代の歌手の歌唱はこの時代の歌手と比べると、歌っているのではなくて、ただメロディーにのせて話しているだけというものが増えてしまいました。理由はいろいろあるでしょうが、そうする方が手っ取り早いからだと思います。首の筋肉を使って喉をさげて、喉の奥のスペースを最大限にして歌う、という方法を修得するには日々のトレーニングがかせませんし、ある程度の忍耐力を必要とします。しかし私達が声楽を学ぶ教育システムは何かと競争や誘惑が多いため、我慢するのは難しいです。本来であればもう少し我慢してこのトレーニングを続ければあと1年後にはうまく歌えるようになる、というような我慢が必要な場面でも、現実には来週試験で歌わなければならない・・、というようなことばかり。このような状況で、歌を勉強している学生の多くは、すでに知っている「話す」という行為に頼ってしまうのです・・・。
また指揮者の中には、歌手に「歌わないでもっとしゃべって」なんていう事を平気で要求をする人も結構いますからね・・。とくかく現在の状況は歌手にとっては決して簡単ではありません・・・。
さて話を戻しましょう。
昔の大歌手は作曲家と知り合いだった
昔の大歌手を聴くべき理由はそれだけではありません。
大歌手の多くは作曲家と直接的、もしくは間接的に知り合いでした。私たちは幸運な事にヴェルデの「オテロ」の初演でオテロ役を歌ったフランチェスコ・タマーニョの録音を今でも聞くことが出来ます。
フランチェスコ・タマーニョが歌うオテロ。ヴェルディは彼のためにオテロを作曲した。
ティート・スキーパはプッチ―のオペラ「つばめ“La Rondine”」の初演を歌っていますし、さらにべニアミーノ・ジールはマスカ―二のオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」を作曲者の指揮で全曲スタジオ録音しています。
マスカーニ指揮による、ジーリの演奏
私達オペラ歌手は、作曲家が残した楽譜を演奏として再現するのが仕事ですが、作曲家が何を意図してそのように作曲したのかを知るのは非常に重要です。
大歌手の残した録音は、作曲家がどのような声を意図して作曲していたかを私たちに示してくれるので大変貴重な手がかりとなります。
さすがにヴェルディを直接知っている歌手が残した演奏録音は少ないですが、ヴェルディを知っていた指揮者のトスカニーニはいくつかのオペラの全曲録音を残しています。
このように当時の歌手たちは、作曲家と直接的、もしくは間接的に知り合いだったわけです。私達よりもはるかに作曲家に近い所にいたわけですね。
だから昔の大歌手の演奏は聞くべきなんです!
とはいえ大歌手も完ぺきではないので注意!
私たちが大歌手の演奏を聴くべき理由は言いましたが、一つだけ注意が必要です。
それは大歌手とは言っても、人間である以上どの歌手にも小さな欠点があるという事です。私たちはそれを頭の片隅に入れておく必要があります。
なぜかというと、欠点というのは実に簡単に真似しやすいからです。実はオペラ・声楽の世界においては、歌を勉強している生徒が、先生の癖(欠点)も一緒に学んでしまうという事がかなり多いのです。正しいと思って勉強したら、癖もいっしょに勉強していたなんてある意味悲劇です・・。
いくら大歌手が素晴らしいと言っても欠点まで一緒に学ぶ必要はありません。例えば歌いだしの前に、気合を入れて「ハッ」という音を入れたり、むやみやたらにポルタメントしたり、音を下からとったりするのは、単なる癖ですから真似してはいけません。これらのことは音楽的な癖ですから分かりやすいですね。
発声に関しても同様で、やはり人間である以上、皆何かしら欠点を抱えています(それは当然な事ですが・・)。同じ大歌手でも良い状態で残した録音もあれば悪い状態で残した録音もあります。
大事なのは、大歌手を尊敬するあまり、彼らがやっているのはすべて正しいんだと思い込まない事です。そうなってしまうと何が良くて悪いかの見分けがつかなくなり、欠点も一緒に学んでしまう事になります。
おわりに
今回は私たちが、昔の大歌手の録音を聴くべき理由について話してみました。昔の録音は雑音も混ざっていて、最初は「こんなのが良いのか?」と驚くかもしれませんが、何度も聞いていると、慣れます。大事なのは録音のクオリティーの良し悪しではなくて、大歌手がどのようにして歌っているのか、そこにしっかり耳を傾ける事です。その息遣いをぜひとも感じてほしいですね。
このブログでは大歌手から学ぶというコーナーを設けていますが、その中で私がおすすめする歌手について少しずつ話していくつもりでいます。お楽しみに!