こんにちは。きっと誰にでも思い出のCDというのはあると思いますが、私にも思い出のCDと呼べるものは何枚かあります。中でも小学校6年生の時に初めて自分のお小遣いで買ったべートーベンの交響曲第6番(カラヤン指揮)は外せません。
小学校からクラシックのCDを買い始めて、これまでに随分な量なCDを買い集めましたが、オペラの全曲録音を自分で買ったのはそれからしばらくたってからになりました。確か高校2年生の時だったと思います。
今から20年前はCDの値段が非常に高く、オペラ全曲盤だと2枚組で5000円、3枚組で7000円ぐらいするのが普通でした(中には1万円以上するやつもあった)。それなので高校生にはなかなか手が出せないものだったのですが、お小遣いをはたいて最初に購入したオペラ全曲盤がエーリッヒ・クライバー指揮のモーツァルト「フィガロの結婚」でした。
そこで主役のフィガロを歌っていたのがチェーザレ・シエピです。まだ誰が良い歌手かなんてまったくわからなかった頃ですが、シエピの声にはすぐに魅了された事を覚えてます。
シエピは個人的にも非常に思い出深い歌手なのですが、今回はそのチェーザレ・シエピの歌唱の魅力を紹介しましょう!
もくじ
チェーザレ・シエピについて
まずはざっとチェーザレ・シエピ(Cesare Siepi)について簡単に紹介しましょう。シエピは1923年にイタリアで生まれました。フランコ・コレッリやディ・ステファノ、マリア・カラスなどと同世代ですね。
彼がオペラで活躍したのは第2次世界大戦後からになりますが、トスカニーニの指揮でミラノのスカラ座でボーイト「メフィストーフェレ」の題名役で出演し、一躍有名になります。
その後アメリカにも渡って、メトロポリタンオペラなどでも大活躍しますが、1953年のザルツブルク音楽祭でフルトヴェングラー指揮の下、「ドン・ジョヴァンニ」を歌い、その名声を不動のものとしています。
シエピと言えばドン・ジョヴァンニと言われるぐらいの大成功だったわけですが、後にブロードウェイでシエピを主役にした「ボラーヴォ・ジョヴァンニ」(ミルトン・シェーファー作曲、1962年初演)というミュージカルまで作られるまでになりました。
シエピはバスの中でもとりわけ明るく軽めの声を持っており、オペラだけにとどまらずミュージカルでもその魅力を存分に発揮してくれましたね。中でもミュージカル作曲家のコール・ポーターの作品を収めたアルバムは私のお気に入りとなっています。
ではさっそくそんなシエピの歌唱の魅力を見ていきましょう。
明るく軽めのイタリアン・バス
まだこのブログ内ではバスの声種の分類は紹介していませんが、キャラクター的にはシエピはシリアス・バス(イタリア風に分類するならバッソ・カンタンテあたり)に分類されます。ヴェルディのオペラなどでのシリアスな役を歌う正統派バスといった所です。
ただドイツの作品に出てくる黒々とした声の暗いシリアス・バスとは異なり、シエピはずいぶんと明るくて軽い声を持っています。同じシリアスバスでもイタリアとドイツ、ロシアでは少し求められる音色が違いますが、明るいシエピの声はまさにイタリアオペラにぴったりな声質です。
そんなわけで、シエピはヴェルディのオペラにおけるシリアスな役柄だけでなく、モーツァルトの「フィガロの結婚」フィガロ役や、やロッシーニ「セビリアの理髪師」バジリオ役など、より軽い声を必要とするオペラでも大活躍しています。
私が個人的にシエピの声の明るさが生きると思うのはやっぱり、モーツァルトを歌っている時です。ここでモーツァルトの「フィガロの結婚」からフィガロが歌うアリア“Aprite un po’ quegli occhi”を聞いてみましょう!
この映像はまだシエピが比較的若いころのものになりますが、まずは彼の声の明るさと軽さが良く表れていますね。バス歌手というと、自分を、よりバスらしく見せるために、どうしても本来の自分の声より深く、暗く響かせようとする傾向が出てきます。でもこのモーツァルトを歌うシエピには全くそのようなそぶりは見られません。
この曲はセリフが多いために、言葉を明瞭にしようとして、レガートを犠牲にしてしまう危険性がありますが、シエピの場合はそのようなことはありません。声の響きは上から下まで統一されており、レガートも本当に美しいです。
途中で言葉を強調しようとして、声が彼本来のポジションよりも浅くなってしまう部分も何か所かありますが、それは音楽的な表現として、意図しての事でしょう。その証拠にアリアのクライマックスでクレッシェンドする所では、徐々に彼本来の声のポジションへと戻っていくことができます。
シエピの声はほんの少しだけ鼻にかかっており、これはテクニック的には欠点と言う事もできるかもしれませんが、またそこが何となくセクシーでもあり、彼の声を特徴づけるキャラクターともなっていますね。
エレガント
さて、シエピの特徴が声の明るさにある事は言いましたが、それだけではありません。最大の特徴は何と言ってもそのエレガントさでしょう。彼の声自体が美しいというのももちろんですが、彼の母音は中間音から適度にカバーされています。また母音を発音する喉の位置が母音の形や音域によって変わる事がないため美しいレガートを可能にしています。
こうしたテクニックの下地に加えて、彼は音楽的にも端正な歌唱を聞かせてくれました。声の美しさに加えて、テクニックと音楽性が両方あったために彼の歌唱は非常にエレガントなものとなりました。
シエピと言えばドン・ジョヴァンニと言われるほど、彼にとってドン・ジョヴァンニは当たり役だったのですが、本来ドン・ジョヴァンニはもっと声の軽いカヴァリエ・バリトンがやる役柄です。ドン・ジョヴァンニと言えば歴史に残るプレー・ボーイなわけですが、それでも彼は騎士です。単なる女たらしではありません!騎士の作法を身に着けた彼は基本エレガントでなければなりません。
バスが歌うとその声の声質柄、どうしても悪が強くなってしまうんですよね。でもシエピはそうならなかった。バスでありながらエレガントに歌い上げ、ジョヴァンニを自分の看板役にしてしまいました。
ではジョヴァンニのアリア“Deh vieni alla finestra”をお聞きください!
ドイツ歌曲やミュージカルにも挑戦!
このブログ内でも度々言っていますが、美しいレガートを実現するには、音の高さや母音に関わらず、常に同じポジションで歌う事が必須となります。
技術的にそう歌える事ではじめて切れ目のない美しいフレージングというのが可能となるのです。もちろんシエピはそうした技術を体得していたわけですが、それに加えて当時の歌手としては洗練された音楽性も持ちあわせていました。そのため彼はドイツ歌曲やミュージカルにも挑戦しています。
シエピが歌うブラームスの歌曲、“O wüsst ich doch den Weg zurück ”と“Vergebliches Ständchen”を聴いてみましょう。彼のドイツ語にはEの母音を初め盛大に訛りがありますが、音楽や言葉の持つフレーズを大きく崩すことなく歌っています(リタルダンドは多いですが・・)。当時のイタリア人歌手が好き勝手に歌ってばかりいた事を考えると、その当時にこれだけスタイルを崩すことがなかったというのは中々すごい事に思えます。
今度はコール・ポーターが作曲したミュージカル“Gay Divorce ”より”Night and day”を聴いてみましょう。私はミュージカルを好んで聴く事はほとんどありませんが、シエピのように歌ってくれるんだったら、いつまででも聴いていたいです。
たいていのオペラ歌手にとって、その歌い方を崩さずにミュージカルを歌うのは決して簡単ではありません。オペラのように歌うと仰々しく響いてしまう事を恐れて、声を薄くし、普段の歌い方とは違った歌い方でミュージカルを歌ってしまう人が多いです。でもシエピは決してそんなことはありませんね。
シエピは逆にヴェルディの重いオペラの役柄を歌う時に、声を重くしすぎてしまう傾向にありましたが、このような軽い曲では持ち前の明るさが良く出ていると思います。
おわりに
今回はチェーザレ・シエピを紹介しましたが、最後におすすめのCDをいくつか紹介して終わりにしましょう。
私が最もおすすめするオペラはエーリヒ・クライバー指揮のモーツァルト「フィガロの結婚」になります。ドンジョヴァンニとしてその地位を不動の物としたシエピですが、声的には「フィガロ」の方がやはり合っていますね。映像としてはフルトヴェングラー指揮のモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」が残っています。
それからドイツ歌曲やフランス歌曲を歌った1956年のザルツブルク音楽祭のライブ録音もおすすめです。今回紹介したブラームスの歌曲もその時の録音になります。
最後はコール・ポーターのミュージカルを収めた“Easy to Love”というCDも良いですよ。
興味のある方はぜひいろいろな録音を聴いてみてください!
おまけ
シエピのために作曲されたブロードウェイミュージカル“Bravo Giovanni”より