お酒は本当に声に悪いのか?オペラ歌手とお酒(アルコール)に関する話!

みなさん、こんにちは。お肉は声に良いとか、アイスクリームは声に良くないとか、声と食べ物に関する話というは割と良く耳にするものではないかと思います。

そんな中でもアルコールが声に悪いという話は良く耳にしますね。今回はオペラ歌手とアルコールに関する話をしようと思います。

Q①:お酒(アルコール)は声に悪いのか?

A:良くはないが悪いかどうかは人による。

お酒が声に悪いのかどうかという質問をされたら、このように答えます。お酒を飲んだら声が潤って歌いやすくなるということはまずないと思いますが、悪いかどうかは結局のところその人の体質次第でしょう。

日本では禁止されている飲酒運転ですが、ドイツでは禁止されていません。お酒を飲んだとしても酔っぱらっていなければ良い、というのが彼らの主張です。

いちおうアルコール摂取量の基準値みたいなものは存在しており、血中濃度が0.5パーミルを上回らなければ良いとなっています。これは一般的にはビールだったら500ml、ワインだったら200mlぐらいとされています。

つまりドイツ人はビール中ジョッキぐらいでは全然酔っぱらわないとされているわけです。

このように一言でお酒といっても日本人とヨーロッパ人でも体質によって全然違いますし、日本人の中でも一口飲んだだけで顔が真っ赤になる人もいれば、いくら飲んでも平気な人もいるでしょう。なのでお酒が声に良いか悪いかを一括りで話すのは結構難しいです。

ただ、ヨーロッパにはお酒を飲んでもまったく平気という人がたくさん居るので、歌う前にお酒を飲むなんていう話はけっこうたくさんあります。

今回はそうしたお酒にまつわるエピソードをいくつか紹介しましょう。

イタリアで本番中にワインが出てきた話。

ではまずは私自身の話からしましょう。私は公演の前には基本的にお酒はのみません。まあ普段からお酒をそんなに飲みませんからそれが普通なわけですが、実は一度だけ、公演中にお酒を飲んだ事があるのです・・・。

あれは2011年にイタリアで行われたプッチーニの「ラ・ボエーム」にマルチェッロ役で出演した時のことでした。あの時はオペラの2幕で喜びのあまり、ワインをボトル事ラッパ飲みするという演出になっていました。ラッパ飲みすると言っても、そもそも赤ワインのボトルは緑色をしていることが多く、中に何が入っているかなんて客席からはまず分かりません。なので空のボトルに口をつけて飲んだふりをするだけです。

ドレスリハーサルの時点でもボトルはずっと空のままでしたから、私は本番もボトルが空だと思っていました。

しかしどういうわけか本番は違いました。私はワインがテーブルに運ばれてきてから、ボトルが空でない事にすぐに気が付きましたが、問題は中身です。色がついているので水ではありません。これがドイツだったら水で薄めたぶどうジュースが入っている所なんですが、ここはイタリアですからね。口にしてみるまでその液体がなんなのかわかるわけがありません(歌っていますから匂いを嗅いでいる余裕なんてありません。)。

もし本当にワインだったらどうしようかとあれこれ考えているうちにワインをラッパ飲みする場面が近づいてきます。

結局どうしたでしょうか?

もうあんまり考えてもしょうがないのでぐいっと行きましたよ。たぶん2,3口ぐらい飲んだと思います。マルチェッロはその後3幕、4幕とそれなりに歌うところがあるのですが、まあ飲んだと言っても大した量ではありませんでしたから、普段通りに歌えました。

でも一度無事に歌えたからと言って、次もそうなるとは限りません。私は無駄なリスクは負いたくありませんでしたから次の公演では客席から見えないようにボトルの先を親指で押さえて、そこに口をつけて飲んでいるふりをしました。

伝説のテノール、カルーソーは、公演の前に赤ワインを飲んでいた。

私はこの公演の後で、どうして公演でワインがそのままでてきたのか考えましたが、イタリア人にとってはワインは水みたいなもので、アルコールだという事を特に気にしていないのだろう、という結論に達しました。

イタリア人やフランス人にとってのワインというのは食事の一部であるという話も良く聞きますからね。

ここで伝説のテノール、カルーソーの話を少し紹介しましょう。カルーソーは自身の著書の中で食事とアルコールについて少しだけ話しています。

カルーソーは公演のある日の食事について、以下のように記しています。

カルーソー

夜歌うときには、昼食の後、公演が終わるまではサンドイッチとキャンティ・ワイン1杯の他には何も取らない。

公演が終わったら自分の好きなものを無理しない範囲で食べる。

※“カルーゾとテトラツィーニの歌唱“より引用

昼食後と書いてありますから、おそらく夕方の5時か6時ごろにサンドイッチを食べながら赤ワインを一杯飲んでいたのではないかと思われます。このようにカルーソーにとっては公演前にワインを飲むことはまったく普通の事だったようですね。

しかしそんなカルーソーでもワインよりも強いアルコールを本番前に飲むことは決してなかったようです。

カルーソー

ここで再び言うが、もちろん習慣は個人によってまちまちである。

イタリアでは私たちは食事の時に国産の弱いワインを飲むのが習慣である。確かにそれは決して悪い事ではない。

私はイタリアにある私の農園で作っている故郷のキャンティー・ワインが今も好きだが、度を越さない事が実行できる唯一の手段だと信じているし、その信念を守っている。

アングロ・サクソンの国々で一般的によく飲まれるアルコール類、特にウイスキーを飲むのはやめた方が良い。それは、確かに歌声を作り出す微妙で細長い筋肉の組織に間違いなく炎症をおこし、はっきりしたよく響く高いドの音を出すことができなくなることは確実だからである。

※“カルーゾとテトラツィーニの歌唱“より引用

カルーソーにとっては本番前にワインを飲むのは大丈夫だけれど、ウイスキーはだめだったみたいですね。

ルチア・ポップは公演前に赤ワインを1杯飲んでいた。

イタリア人のカルーソーは本番前に赤ワインを飲んでいたようですが、そのような歌手はなにもイタリア人に限った事ではありません。チェコ出身のソプラノ歌手ルチア・ポップにまつわる話も紹介しましょう。

私はブレーメンの音楽大学でヘルデンテノールのトーマス・モア先生とソプラノのクリスティーナ・ラキ先生に師事していました。門下生と先生とでご飯を食べに行くというのはドイツでも良くある事なのですが、ある時ラキ先生と門下生とでギリシア料理店に食事に行くことになりました。

ギリシア料理に限らず、ヨーロッパでは食後にサービスでシュナップスと呼ばれる蒸留酒が配られる事が多い(消化を助けるためとされている。)のですが、その時も食事が終わってから全員にシュナップスがショットグラス1杯ずつ配られました。

その時一人のソプラノの子が“私は明日もレッスンがあるから私はいらないです。”と言ったのです。こうした心がけはプロを目指す学生としてはなかなか素晴らしいものだと思いませんか?

しかしどうやらラキ先生はそうは思わなかったようです。そして自身の昔話を聞かせてくれました。

ラキ先生がソプラノのルチア・ポップと共にリヒャルト・シュトラウスのアラベラに出演している時の事でした。ズデンカ役で出演していたラキ先生は、いつものように公演後にアラベラ役のルチア・ポップとワインを飲んでいたようですが、その場に小さな役を歌う若いソプラノ歌手がやってきたので、ワインを勧めたようです。

するとその若い歌手は、“明日もリハーサルがあるのでお酒はいりません。”と言ったようです。歌うところがあんまりない若い歌手が、ワインを飲んでいる大歌手の前でそう言い放ったのが非常に可笑しかったみたいですね。

その話をした後でラキ先生は生徒に向かって“そんな小さな事心配していないで、飲みなさい。”と言いました。もちろん冗談でしたが、あれは半分本気でしたね・・・。

その後で、ラキ先生はルチア・ポップのさらなるエピソードを披露してくれました。その話によるとルチア・ポップは公演前はいつも大きなグラスで赤ワインを飲んでいたようですね。それでいて本番の演奏は毎回神様のように素晴らしかったようです。

ラキ先生はさすがに本番前に飲むことはできなかったようです(その時のエピソードも披露してくれましたが、それは内緒・・・)が、公演後のお酒ぐらいで歌えなくなることを心配するなんてそれこそ馬鹿げているとの意見でした。

しっかりと歌うテクニックがあれば、多少のお酒ぐらいで心配する必要はないというわけですね!

先生が生徒にビールを勧める?

さて、最後のエピソードもブレーメン芸術大学に在学中の話になります。ドイツの音大ではゼメスター毎にそれぞれのクラスの発表会が開かれます。

リハーサルを終えて、モア先生と生徒達で公演前に軽く食事に行くことになったのですが、なんとそこでドイツ人の学生がビールを注文したのです。本番前という事ももちろんそうですが、先生の目の前でビールを飲むなんて日本人の私には想像もできません。

私はこの生徒の行動に対して、モア先生が教師としていったいどのような反応をするのか非常に興味がありましたが、その時モア先生はその事に関して何も言いませんでした。

さて、クラスの発表会も無事に終わり、先生が生徒一人一人にお祝いと感想を述べる時間がやって来ましたが、その時先生がそのドイツ人学生に対して、なんとこう言ったのです。

今日はいつもよりもリラックスしていた良かったよ。これからは公演前にいつもビールを飲んだら良いかもね。”

そのドイツ人学生は歌うときに体に余分な力がはいりガチガチになるという傾向があったのですが、その日はビールでほろ酔いだったせいか、いつもよりもリラックスして良い声が出たようでした。

現在では本番前のアルコールは基本的にタブー

さて、いくつかお酒に関するエピソードを紹介していますが、現在はドイツの劇場では基本的にお酒を飲むことはタブーとされています。私もいろいろな歌手と共演してきましたが、本番前にお酒を飲んでいる歌手は見たことがありません。

働いている時間にお酒を飲むなんてプロじゃない、というモラル的な理由も少しはありますが、実際にはもっと現実的な理由からです。

それはアルコールを摂取して仮に舞台上で事故が起きたときに、保険が適用されない可能性が高くなるためです。

オペラの舞台では時々事故が起こります。私も一度滑って転んで医者のお世話になった事がありましたが、そういうときの医療費というのは労働保険から支払われるようになっています。

まあ仮にお酒を飲んでいたとしても医者の前で自己申告しなければばれる事はないでしょうが、本当に重大な事故が起こった時にアルコールが絡んでいると、保険が下りない可能性がでてくるわけです。

そんな事もあり最近では本番前にビールを飲む人たちはほとんどいなくなりました。

おわりに

今回はアルコールとオペラ歌手に関する話でした。

声にとってはお酒は飲まないに越したことはありませんが、だからといってあんまり神経質になりすぎるのも良くないですね。

私が東京で高校の音楽の先生として働いていた時は、体育科の先生達と良く飲みに行っていましたが、歌手になってからはめっきり飲む機会も量も減りました。公演が終わっても次の日の朝9時には歌わなければならないからです。

お酒を飲んで歌ったらどうなるかをどうしても知りたい人は、一度実際にチャレンジしてみる事をお勧めします。自分の限界がどこにあるのかを見極めてみることは歌い手にとっては結構大事なことです。ただし、いきなり公演のある時にチャレンジすることは止めましょう!


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