シューベルト!「音楽に寄せて」の魅力を解説!音楽そして芸術は不滅だ!

みなさん、こんにちは!

このブログでは将来的には音楽についていろいろと話していきたいと思って、タイトルを「音楽に寄せて」としました。

知っている人はすぐに気がついたと思いますが、この「音楽に寄せて」というのはフランツ・シューベルトが作曲した歌曲“An die Musik”を日本語に訳したものですね。どちらかと言えば日本では「楽に寄す」という名前で定着していますが、私は「音楽に寄せて」という訳の方を好んで使用しています。

まだこのブログは始めたばかりですから、これまでは私が話すときの前提となる発声の話の方を先にしていましたが、一度この辺りでドイツ歌曲の話をしてみようと思います。もちろん最初に取り上げるのは、このブログのタイトルになった「音楽に寄せて」です。

シューベルトとAn die Musik D547「音楽に寄せて」

さて「音楽に寄せて」ですが、この曲はフランツ・シューベルトが1817年の3月に友人であるフランス・フォン・ショーバーの詩に作曲しました。

シューベルトは1797年生まれですから、20歳の時の作品になりますね。ちなみに「音楽に寄せて」にはD547という作品番号がついています。このDとは“Deutsch-Verzeichnis(ドイチュ番号)”の略で、これはシューベルトの作品を作曲した年代順に並べた番号となっています。

まあこのような番号は音楽鑑賞においては特に重要ではありませんが、シューベルトが亡くなる間際に作曲した「冬の旅」の作品番号がD911である事を覚えておくと、いったいシューベルトがいつ頃作曲したのかがすぐに分かって便利ではありますよね。

「音楽に寄せて」はD547ですから、“ああ、この曲は中期の作品なんだ“、と簡単にわかるわけです。

もちろんシューベルトは1828年に31歳の若さで亡くなってしまったわけですから、中期、後期とわけたところで、すべて若い時に作曲したわけですが・・・。

さて、あまり前置きが長くなってもいけませんね。話を先に進めましょう。

この「音楽に寄せて」はシューベルトが作曲した数多くの歌曲の中でも最も美しいものの一つです。またショーバーのこの歌詞も素晴らしいです。短い歌詞ですが、音楽の持つ本質的な魅力を表しています。

シューベルトは友人のショーバーの手書きの原稿を受け取り、それを読んで何かしら心を動かされてこの曲を作曲したわけですが、ドイツ歌曲においてはこのように詩と音楽の関係が非常に重要になります。

これは、私たちが詩を読み解くことによって、その音楽の持つ魅力に近づくことができるという事を意味しています。

今回はショーバーの詩を私と一緒に読んでいくことでシューベルトの音楽の魅力に近づくことができるか試してみましょう。

シューベルティアーデの様子:モーリッツ・フォン・シュヴィント作:Wikipediaより

An die Musik

まずは一度この曲を聴いてみましょう!演奏はドイツのバリトン、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウとピアノはジェラルド・ムーアになります。

みなさんはこの曲を聴いてどんな気持ちを抱きますか?私はこの曲を聴くと心が非常に温かいものになります。おそらくたいていの日本人はドイツ歌曲を聴いて歌詞を同時に理解することはないと思いますが、そんなのは最初は気にする必要はありません。大事なのは音楽の雰囲気と、自分の気持ちの動きを感じ取る事です。それこそが音楽の本質的な魅力なのですから!私も日本にいる時はドイツ語なんかさっぱりわかりませんでしたが、それこそ一日中ドイツ歌曲のCDを聴いていたものです。

でも歌詞の意味を知る事で、もっとこの曲の魅力を感じ取る事ができたら嬉しいですよね。これから歌詞を見ていきましょう!

一段目

この詩は短いですが、一段ずつ分けてじっくり見ていきましょう。まずは最初の4行です。

Du holde Kunst, in wieviel grauen Stunden,
Wo mich des Lebens wilder Kreis umstrickt,
Hast du mein Herz zu warmer Lieb’ entzunden,
Hast mich in eine beßre Welt entrückt!

この曲の出だしは、“Du holde Kunst“と始まります。素晴らしい出だしですね。日本語にすると堅苦しくなりますが、とりあえず「親愛なる芸術よ」とでも訳しておきましょう。この曲は芸術に対する呼び掛けで始まっています。まず私たちが最初に聞くことになるDu(お前)という言葉ですが、これは親しい間柄で使うドイツ語の二人称ですね。つまり芸術が語り手にとって身近なものであるという事が前提にあります。そしてholdという言葉。この言葉を普段の生活で使う事はほとんどありませんが、ドイツの詩には沢山出てきます。この言葉は「愛らしい」といったような訳語があてはめられますが、心からの信頼と親しみを込めた意味があります。

この曲は心からの信頼と親しみ、そして温かみを込めて「親愛なる芸術よ」と語りかけることから始まるわけです。

しかし私たちが最初に耳にする言葉は、そのような出だしの親密さとはまったく違う言葉になります。

まず“in wieviel grauen Stunden,“の意味を見ていきましょう。“gurauen Stunden”を直訳すると、「灰色な時間」となりますがこの場合の”grau”は絶望的(trostlos)、そして荒れ果てた(öde)という言葉と同じ意味を持ちます。この文章は、「どれだけ多くの絶望的な時間を」という意味になりますが、さらに次の行へと続きます。

次の行の“Wo mich des Lebens wilder Kreis umstrickt“は「多くの絶望的な時間」についてのさらなる説明ですね。これを訳すと、「行き場を失った荒れ狂う人生」とでもなりましょうか。“Wilder Kreis des Lebens“というのは訳すのが非常に難しい言葉ですね。この場合の“wild”が意味しているのは「激しさや荒々しさ」そして“Kreis”が表しているのはシューベルトやショーバーを取り囲む社会とするのが適切だと思います。“umstricken”の“stricken”には編み物をするという意味がありますが、umstrickenは(網に絡まって)自由に身動きができないという意味があります。

「親愛なる芸術よ」という親しげな呼びかけで始まったこの曲ですが、私たちは、「絶望的な」そして「行き場を失った荒れ狂うような人生」という言葉を最初に耳にする事になりました。

しかしここで芸術の登場です。ここでの芸術とはもちろん音楽の事です。

Hast du mein Herz zu warmer Lieb’ entzunden“とありますが、これは「お前(芸術)が私の心に温かな愛の光を灯してくれたくれた。」という事ですね。ちなみにショーバーの自筆の原稿ではこの部分は“Hast du mein Herz zu neuer Lieb’ entzunden“となっています。neuer Lieb’(新たな愛)からwarmer Lieb’(温かな愛)へと書き換えられています。この詩は出版されたものではなく、ショーバーがシューベルトに手渡したものですが、シューベルトの意志で書き換えられたと見るのが妥当でしょう。もちろん友人のショーバーが賛成した上でそうなったという事は十分に考えられますね。

一段目の最後は“Hast mich in eine beßre Welt entrückt!“と閉められていますが、これは「お前が私をより良い世界へと導いてくれた」と訳すことができるでしょう。このentrückenという言葉には、素晴らしい方法で新たな世界に導かれるというような意味があります。ちょっと奇跡的な意味合いがありますね。

この詩が一段目で表している事をざっと要約しますと、「絶望的で、行き場を失った荒れ狂うような人生において、お前(芸術)は私の心に温かい愛の光を灯してくれた。そして私をより素晴らしい世界へと連れて行ってくれた。」となります。

人生誰にでも辛い時期、苦しい時期というのはあると思いますが、音楽によって自分が高められた、もしくは救われたという経験をした人も決して少なくないと思います。

音楽や芸術には私達を精神的に高めてくれたり、癒してくれる力がありますね。これはどの時代においても共通する本質的なものではないかと思います。シューベルトやショーバーにもつらい体験ががあったのでしょうか?気になりますね。

ではここでちょっとだけシューベルトやショーバーの時代がどんなものだったのかを見てみましょう。

シューベルトやショーバーの時代とは?

シューベルティアーデ:ユリウス・シュミット作:Wikipediaより

私は歴史家ではありませんから、そこまで詳しいことは書けませんが、シューベルトの時代のウィーンはハプスブルク家によって厳しく統治されていました。これが何を意味するかというと、当時の一般市民は決して私達のように自由ではなかったという事です。

その一つの例が結婚法ですね。当時ウィーンでは結婚するためには家族を養っていけるだけの給料が必要とされていました。学校の先生を辞めて定職についていなかったシューベルトは1816年の4月(この曲を作曲する1年前ですね。)にライバッハの室内楽長の職に応募しました。シューベルトにとって、この職を得ると言う事は、将来結婚する自由を手に入れる事をも意味していたのです。しかしその年の9月にシューベルトは不採用通知を受け取っています。シューベルトはこれによって将来的に結婚する事ができないと絶望に暮れたとされています。

シューベルトはその数年後の1822年に梅毒を患い、1828年に亡くなるまで独身で過ごす事になります。

ちなみにこのような厳しい法律から当時の男性の結婚年齢は30歳を超える場合が非常に多かったようです。例えばシューベルトの兄は1836年に51歳で学校の校長に就任しましたが、その年にようやく結婚を認められています。さらにシューベルトの友人であり「音楽に寄せて」の詩を書いたショーバーが結婚したのは60歳になってからでした。

結婚法はほんの一例にすぎませんが、このような厳しい時代に生きていたのがシューベルトやショーバーです。そして彼らにとっては唯一自由になれる世界が、芸術の中の世界でした。彼らにとって「絶望的で行き場を失った荒れ狂うような」世界とはもしかしたら特別に経験した辛い出来事ではなくて、現実の世界そのものだったのかもしれません。

詩の後半を見ていきましょう!

2段落目

Oft hat ein Seufzer, deiner Harf’ entflossen,
Ein süßer, heiliger Akkord von dir
Den Himmel beßrer Zeiten mir erschlossen,
Du holde Kunst, ich danke dir dafür!

一行目の“Oft hat ein Seufzer, deiner Harf’ entflossen”ですが、これは「お前の竪琴からはしばしばため息がもれたものだ。」となります。ここで大事なのは“Seufzer”(ため息)という言葉でしょう。皆さんはこのため息がどのような種類のため息だと思いますか?竪琴“Harfe”から漏れ出るため息は、竪琴が奏でる甘美のため息でしょうか?それとも人生における落胆や苦悩から出る類のため息でしょうか?

そのどちらかを決めるのは読み手(もしくは演奏家)になりますね。私はこのため息は、当時の厳しい社会から漏れ出る一般市民のため息を示唆している可能性もあると思っています。竪琴から出る音色をため息に例えていますが、音楽がそうして一般市民のため息を代弁しているのかも知れません。

では次の行を見ていきましょう。次は“Ein süßer, heiliger Akkord von dir den Himmel beßrer Zeiten mir erschlossen”と2行で一つの文章となっていますから、まとめていきます。まずこれをざっと訳すと「お前(芸術)の甘く神聖なる和音が、私により良き時代の天国への扉を開いてくれる。」となります。“erschlossen“は“erschließen“の過去分詞ですが、この言葉には、「(扉を)開く」という意味があります。“Himmel(天国)”への扉を開いてくれるというわけですね。

beßrer Zeiten”は「より良き時代」としましたが、実はこの言葉はショーバーがシューベルトに手渡しした手稿では“neuer Hoffnung(新たな希望)”となっていました。それが作曲の段階で“beßrer Zeiten”に書き換えられたわけですね。なので「より良き時代」というのがこの場合、「新たな希望にあふれた」ものである事はほぼ間違いないでしょう。最初の段落の最後で“beßre Welt”と出てきますから、その言葉と響きを統一するために変更した可能性もありますが、シューベルトが「より良い何か(おそらく社会)」を心から望んでいたとも考えられますね。

最後に“Ein süßer, heiliger Akkord”にも触れておきましょう。これは「甘く神聖なる和音」ですが、この和音が意味するものは何でしょうか?和音というのは、「調和」の象徴でもありますね。シューベルトにとって「調和のとれたもの」というのは「より良き時代」や「より良い世界」、そして「新たな希望」に共通するものがあるでしょう。

まさに、「神聖なる和音」「希望に満ちた天国への扉を開ける鍵」となってくれるわけですが、この曲は最後に“Du holde Kunst, ich danke dir dafür!“「親愛なる芸術よ!私はお前に感謝する!」と音楽への感謝で締めくくられています。

では最後にバリトンのヘルマン・プライとレナード・ホカンソンの演奏で「音楽に寄せて」をもう一度聞いてみましょう!

今回は詩を中心としたので音楽についてはあんまり沢山触れることができませんでしたが、皆さんはどのように感じましたか?私はこの曲の後奏の和音が、より良い世界への扉を開ける鍵となって聞こえます。まるで開かれた扉を潜り抜け、天国への階段を昇っていくかのようです。

とりあえず、ざっと訳してみた理由

これまで私の文章を読んで、訳すたびに「とりあえず」とか「ざっと」という言葉を使ってきたことが気になっていた人もいるかもしれませんね。詩の中に使われている言葉には複数の意味を持つ場合が沢山あります。こう理解する事もできるし、また違ったようにも理解できる・・という具合です。結局のところ私たちは音楽を手掛かりに作曲家がどのように理解したのかを探していく事になるわけですが、日本語に訳すとなるとどうしても言葉を一つ選択する必要が出てきます。しかし日本語に訳した言葉がそうした複数の意味を伝える事はかなり難しいです。たいていの場合は、一つの言葉を選択した代わりに別の意味が除外されてしまいます。私はできるだけそのような事態を避けたかったので、あえて「とりあえず」とか「ざっと」訳して、足りない部分を説明で補足する形をとりました。

おわりに

私はこの詩にあるように、音楽には人間を癒してくれたり成長させてくれる力があると強く信じています。一般市民にとってはまだまだ自由が保証されていなかったシューベルトの時代において、芸術とは唯一自由になれる場所であり、それだけに彼らにとっては本当に大きな意味を持っていました。私達の生きている時代とは違いますが、それでも本質的な部分においては現在にも共通するものが沢山あるはずです。

現在コロナウイルスで世界的に大変な状況にありますね。そして皮肉な事に音楽家の仕事が真っ先になくなるという事態になりました。しかしこれは一時的な物であり、世の中が大変になればなるほど、芸術や音楽は人間にとってより欠かせないものになると思っています。

ただ私たちは現在自由と豊かさを手に入れましたが、その代償として、こうした芸術のすばらしさを見失わないように注意しなければなりません。多くの人が音楽、そして芸術のすばらしさに気付くことができる世の中になると良いですね。

  

※参考文献

・Schubert Winterreise Lieder von Liebe und Schmerz/Ian Bostridge

・Das Schubertlied. Literarische und musikalische Interpretation des Werks “An die Musik” op. 88,4 (D 547)/Melanie Binder

・ニューグローブ音楽大辞典(講談社)


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